アメリカと中国、その親和性
二つのグローバル国家。
グローバリズムとは取りも直さず帝国主義であり、帝国主義のひな形は、その名前の由来の通り、ローマ帝国にあるわけですが、ユーラシア大陸の西側でローマ帝国が栄えていたのと同じ時代に、ユーラシア大陸の東側では漢という大帝国が栄えていました。
そしてこの二つの大帝国は、シルクロードで一つにむすばれていました。
「パクス・アメリカーナ」という言葉もある通り、アメリカをローマ帝国「パクス・ロマーナ」の再来と見なすならば(アメリカ合衆国上院を英語で "Senate" と言いますが、この名称は、ローマ帝国の元老院 "senatus" に由来します)、さらに、中華人民共和国を、古代以来の中華帝国の継承者と見なすならば(『二十四史』を継ぐ『清史』が中華人民共和国によって編纂されているという事実から明らかなように、中華人民共和国はそのように自認しています)、アメリカと中国が、グローバル国家としての親和性をもつことは、歴史的経緯からも容易にうなずけます。
アメリカと中国というこの二つのグローバル国家は、ユダヤ人という帰属すべき国を持たずに離散を強いられ、グローバルな生き方を辿らざるをえなかった人々の避難先となったという点でも類似しています。
もともと中国の河南省開封市には、宋の時代から何百年と続くユダヤ人のコミュニティーがありましたが、19世紀には商売のため香港や上海やハルビンにユダヤ人たちが新たに移住してくるようになりました。
19世紀末から20世紀初頭にかけては、帝政ロシア末期に多発したポグロム(ユダヤ人に対する襲撃)やロシア革命を逃れて、ロシアから中国東北部に多くのユダヤ人が移り住みました。辛亥革命を導いた孫文は、ヨーロッパ各国で迫害を受けてきたユダヤ人の姿に、西洋列強に苦しめられる中国人との共通点を見いだし、シオニズム運動に深い同情を示しました。
またナチス政権下のドイツでユダヤ人に対する迫害が苛烈になると、ビザなしで居住ができた上海に多くのユダヤ人が集まるようになりました。1940年には、満州も含めて中国に居住するユダヤ人の数は36,000人に達したそうです。これらのユダヤ人は、日中戦争では、中国国民党や中国共産党を支援して「抗日活動」に協力し、その中には、国際ジャーナリストとして反日プロパガンダに手を貸したり、八路軍に参加するユダヤ人もいました。
第二次世界大戦後は、中国に居住していたユダヤ人たちのほとんどは中国を去り、イスラエルや、アメリカに移っていきました。しかし、数名のユダヤ人たちは、中国にとどまり、中華人民共和国に帰化して、後には中国人民政治協商会議のメンバーとなり、中国共産党のために死ぬまで働きました。次の人々が知られています。(出典)
Israel Epstein (1915-2005, 中国名: 伊斯雷尔·爱泼斯坦)

Ruth Weiss (1908-2006, 中国名: 魏璐诗)

Sidney Shapiro (1915- , 中国名: 沙博理)

中国人民政治協商会議

中国に帰化はしませんでしたが、中国共産党に入党して毛沢東の通訳を勤め、アメリカに帰国後は企業コンサルタントとして多くのアメリカ企業の中国進出を助けたユダヤ系アメリカ人もいます。
Sidney Rittenberg (1921- , 中国名: 李敦白)

アメリカと中国は、共に日本と戦った戦勝国としても、また戦争中にその二国に逃れたユダヤ人という人々を介しても、深いつながりによって結ばれています。

先日、恐ろしい二つの地図という記事でお話ししましたが、世界のグローバル化をもくろむ人々(誤解されやすいですが、ユダヤ人がすべてそういう人々であるというわけではありません。グローバリズムを推進する人々の中には宗教や国籍を問わず様々な人々がいます)の企てはTPPで終わるわけではありません。
アメリカの主導するTPPと、中国の主導するRCEPが、FTAAPとしてやがて一つに統合されていきます。

この世界統合の流れの中で、日本という国民国家は姿を消す運命を辿りつつあります。中国の李鵬首相が「日本という国は20年後には消えてなくなる」と1995年に発言したと言われている、その言葉の通りに。
そして、この世界統合の流れの中で、それに抵抗して、国民国家の枠組みを死守する代わりに、「政治家となって以来の一貫した哲学」に基づいて、日本の国家解体とグローバル化に着手をはじめたのが安倍晋三という似非「愛国」政治家です。
そして、この安倍晋三という、グローバル勢力の委託を受けた国民国家の解体業者を、「保守だ、救国だ」と言って、意味も分からず支持している、救いようもなく頭の悪い人たちが、いわゆる「安倍信者」です。
そしてこの二つの大帝国は、シルクロードで一つにむすばれていました。
「パクス・アメリカーナ」という言葉もある通り、アメリカをローマ帝国「パクス・ロマーナ」の再来と見なすならば(アメリカ合衆国上院を英語で "Senate" と言いますが、この名称は、ローマ帝国の元老院 "senatus" に由来します)、さらに、中華人民共和国を、古代以来の中華帝国の継承者と見なすならば(『二十四史』を継ぐ『清史』が中華人民共和国によって編纂されているという事実から明らかなように、中華人民共和国はそのように自認しています)、アメリカと中国が、グローバル国家としての親和性をもつことは、歴史的経緯からも容易にうなずけます。
アメリカと中国というこの二つのグローバル国家は、ユダヤ人という帰属すべき国を持たずに離散を強いられ、グローバルな生き方を辿らざるをえなかった人々の避難先となったという点でも類似しています。
もともと中国の河南省開封市には、宋の時代から何百年と続くユダヤ人のコミュニティーがありましたが、19世紀には商売のため香港や上海やハルビンにユダヤ人たちが新たに移住してくるようになりました。
19世紀末から20世紀初頭にかけては、帝政ロシア末期に多発したポグロム(ユダヤ人に対する襲撃)やロシア革命を逃れて、ロシアから中国東北部に多くのユダヤ人が移り住みました。辛亥革命を導いた孫文は、ヨーロッパ各国で迫害を受けてきたユダヤ人の姿に、西洋列強に苦しめられる中国人との共通点を見いだし、シオニズム運動に深い同情を示しました。
またナチス政権下のドイツでユダヤ人に対する迫害が苛烈になると、ビザなしで居住ができた上海に多くのユダヤ人が集まるようになりました。1940年には、満州も含めて中国に居住するユダヤ人の数は36,000人に達したそうです。これらのユダヤ人は、日中戦争では、中国国民党や中国共産党を支援して「抗日活動」に協力し、その中には、国際ジャーナリストとして反日プロパガンダに手を貸したり、八路軍に参加するユダヤ人もいました。
第二次世界大戦後は、中国に居住していたユダヤ人たちのほとんどは中国を去り、イスラエルや、アメリカに移っていきました。しかし、数名のユダヤ人たちは、中国にとどまり、中華人民共和国に帰化して、後には中国人民政治協商会議のメンバーとなり、中国共産党のために死ぬまで働きました。次の人々が知られています。(出典)
Israel Epstein (1915-2005, 中国名: 伊斯雷尔·爱泼斯坦)

Ruth Weiss (1908-2006, 中国名: 魏璐诗)

Sidney Shapiro (1915- , 中国名: 沙博理)

中国人民政治協商会議

中国に帰化はしませんでしたが、中国共産党に入党して毛沢東の通訳を勤め、アメリカに帰国後は企業コンサルタントとして多くのアメリカ企業の中国進出を助けたユダヤ系アメリカ人もいます。
Sidney Rittenberg (1921- , 中国名: 李敦白)

アメリカと中国は、共に日本と戦った戦勝国としても、また戦争中にその二国に逃れたユダヤ人という人々を介しても、深いつながりによって結ばれています。

先日、恐ろしい二つの地図という記事でお話ししましたが、世界のグローバル化をもくろむ人々(誤解されやすいですが、ユダヤ人がすべてそういう人々であるというわけではありません。グローバリズムを推進する人々の中には宗教や国籍を問わず様々な人々がいます)の企てはTPPで終わるわけではありません。
アメリカの主導するTPPと、中国の主導するRCEPが、FTAAPとしてやがて一つに統合されていきます。

(画像出典: 経団連「アジア太平洋地域における経済統合の推進を求める」)
この世界統合の流れの中で、日本という国民国家は姿を消す運命を辿りつつあります。中国の李鵬首相が「日本という国は20年後には消えてなくなる」と1995年に発言したと言われている、その言葉の通りに。
そして、この世界統合の流れの中で、それに抵抗して、国民国家の枠組みを死守する代わりに、「政治家となって以来の一貫した哲学」に基づいて、日本の国家解体とグローバル化に着手をはじめたのが安倍晋三という似非「愛国」政治家です。
そして、この安倍晋三という、グローバル勢力の委託を受けた国民国家の解体業者を、「保守だ、救国だ」と言って、意味も分からず支持している、救いようもなく頭の悪い人たちが、いわゆる「安倍信者」です。
「ではいかにして、成長を図るのか。国を開くこと、日本の市場を、オープンにすることです。これは、政治家となって以来、私の中に流れる一貫した哲学でした。7年前に総理となったとき、私は、日本とASEANのEPAを締結するよう、交渉を急がせました。今回、再び総理となって最初の課題が、米国を中心とするTPP、そしてEUとのEPAに、果たして乗り出すべきか否かでした。TPPへの反対は、自民党を支持した皆さんにもありました。私は、全力で、説得しました。そのうえで、交渉参加に断を下しました。 私が追い求める日本とは、世界に対してどこまでも、広々と、オープンにつながる日本です。」
「世界から、ヒト、モノ、カネを呼び込んで、それを成長の糧としてまた大きくなる。そんな日本をつくる闘いが、私の取り組む闘いです。」
「私の成長戦略は、官僚たちに書かせた、ただのエッセイではあり得ません。私がアンダーライトし、実行するものです。」
「そして選挙が終わったらどうするか。私はこれからの3年を、集中的な改革の期間と位置付け、持てる政治力を、投入します。固い、岩盤のような日本の規制を、私自身をドリルの刃(やいば)として、突き破ろうと思っています。」

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