日本の根っこ
縄文の森に深く根を張れ。
※この記事は、旧ブログの記事日本の根っこ(2013年7月3日)の再掲です。
かねてより新自由主義や構造改革やグローバリズムに反対し、その結果、現在のように安倍政権や自民党に対して反旗を翻すことになったWJFプロジェクトですが、多くの自称「保守」の人々と対立することになった一方で、WJFプロジェクトの主張に深い理解を寄せてくださる方たちがいらっしゃいます。そしてその方たちには、ある共通点があります。それはなぜか神道の素養のある方たちが多いという点です。
WJFプロジェクトの主張を理解してくださる方に神道に関わりのある方たちが多いというのは決して偶然のことではないと思います。
神道は、「日本の根っこ」に関わるものです。
私たちの心の深層は、どこかで、いにしへの縄文の森につながっています。
神道を通してでも、他のどんなものを通してでもよいのですが、政治を考える以前に、日本とは何か、日本人とは何か、日本の文化とは何かという問いかけを、心のどこかに抱いてこられた人たちは、日本人として守るべきものを深く自覚されているのだと思います。
このような方たちは、日本人として最も大切なものが何かきちんと見えている方たちですから、安易に特定の政党や政治家を絶対化するような過ちには陥らないのだと思います。政党や政治家は、「守るべきもの」を守る上での手段にはなり得ても、それ自身が守るべき対象にはなりえないからです。
それに対して、ふだん「日本の根っこ」を深く自覚することのないまま、「嫌韓」や「反中」や「反民主」という皮相な入り口から、唐突に政治に関心をもつようになってしまった人たちは、善悪二元的な情報の刷り込みに洗脳されて、自民党という特定の政党や、安倍晋三という政治家を盲信するようになってしまうのではないでしょうか。そして、日本を破壊しようとする政治家や政権すらも守ろうとする、本末転倒に陥ってしまうのだと思います。
日本人である以上は、韓国がどうだとか、中国がどうだとか、アメリカがどうだとかいう以前に、「日本の根っこ」を深く自覚していただきたい。「根っこ」とは言うまでもなく、物事が右や左に分岐していく以前の本質ということです。そして「日本の根っこ」を深く把握したところから、もう一度、政治という現実の問題にもどって、今日本の内外に起きていることを見回してみるべきであると思います。
かねてより新自由主義や構造改革やグローバリズムに反対し、その結果、現在のように安倍政権や自民党に対して反旗を翻すことになったWJFプロジェクトですが、多くの自称「保守」の人々と対立することになった一方で、WJFプロジェクトの主張に深い理解を寄せてくださる方たちがいらっしゃいます。そしてその方たちには、ある共通点があります。それはなぜか神道の素養のある方たちが多いという点です。
WJFプロジェクトの主張を理解してくださる方に神道に関わりのある方たちが多いというのは決して偶然のことではないと思います。
神道は、「日本の根っこ」に関わるものです。
私たちの心の深層は、どこかで、いにしへの縄文の森につながっています。
神道を通してでも、他のどんなものを通してでもよいのですが、政治を考える以前に、日本とは何か、日本人とは何か、日本の文化とは何かという問いかけを、心のどこかに抱いてこられた人たちは、日本人として守るべきものを深く自覚されているのだと思います。
このような方たちは、日本人として最も大切なものが何かきちんと見えている方たちですから、安易に特定の政党や政治家を絶対化するような過ちには陥らないのだと思います。政党や政治家は、「守るべきもの」を守る上での手段にはなり得ても、それ自身が守るべき対象にはなりえないからです。
それに対して、ふだん「日本の根っこ」を深く自覚することのないまま、「嫌韓」や「反中」や「反民主」という皮相な入り口から、唐突に政治に関心をもつようになってしまった人たちは、善悪二元的な情報の刷り込みに洗脳されて、自民党という特定の政党や、安倍晋三という政治家を盲信するようになってしまうのではないでしょうか。そして、日本を破壊しようとする政治家や政権すらも守ろうとする、本末転倒に陥ってしまうのだと思います。
日本人である以上は、韓国がどうだとか、中国がどうだとか、アメリカがどうだとかいう以前に、「日本の根っこ」を深く自覚していただきたい。「根っこ」とは言うまでもなく、物事が右や左に分岐していく以前の本質ということです。そして「日本の根っこ」を深く把握したところから、もう一度、政治という現実の問題にもどって、今日本の内外に起きていることを見回してみるべきであると思います。
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