情けない日本人
「国家観」なき、惰弱なる日本のネット「右翼」。
日本と台湾は、現在、両国を呑み込もうとするグローバリズムの問題に直面しています。
この状況を、単に、「日本はアメリカに呑み込まれようとしており、台湾は中国に呑み込まれようとしている」ととらえるのは浅薄なものの見方です。
なぜなら、グローバル勢力は、アメリカを中心とするTPPと、中国を中心とするRCEPをやがて統合し、FTAAPというより大きな世界統合の枠組みの実現を目指して着々と準備を進めているからです。

今、まさに、同じ問題に直面している日本人と台湾人ですが、問題に向き合う両国民の姿勢は全く対照的です。
この違いを図にしてみました。

「何から何を守るのか」
はっきりと理解している、明確な国家観をもった台湾の人々の「国民度」と、
「何から何を守るのか」
何も分からずに、明確な国家観もないまま、隣国への憎悪ばかりをまきちらし、安倍というグローバリストに盲目的に傾斜していく日本のネット「右翼」の「国民度」。
どちらが高い「国民度」をもっているかは言うまでもありません。
何を勘違いしているのか、「安倍ぴょんが、『笑っていいとも』に出た」といって大はしゃぎをし、安倍政権が推進する移民や道州制やTPPなど、自国を呑み込もうとするグローバリズムの問題と何も対峙しようとしない人々が、グローバリズムと体を張って戦う台湾人に対して「がんばれ」と声援をかけているのですから、救いようがありません。
さて、私たちは、何から何を守るべきなのでしょうか。
以前、書いた記事を引用させていただきます。
この状況を、単に、「日本はアメリカに呑み込まれようとしており、台湾は中国に呑み込まれようとしている」ととらえるのは浅薄なものの見方です。
なぜなら、グローバル勢力は、アメリカを中心とするTPPと、中国を中心とするRCEPをやがて統合し、FTAAPというより大きな世界統合の枠組みの実現を目指して着々と準備を進めているからです。

(参考記事: 「恐ろしい二つの地図」)
今、まさに、同じ問題に直面している日本人と台湾人ですが、問題に向き合う両国民の姿勢は全く対照的です。
この違いを図にしてみました。

「何から何を守るのか」
はっきりと理解している、明確な国家観をもった台湾の人々の「国民度」と、
「何から何を守るのか」
何も分からずに、明確な国家観もないまま、隣国への憎悪ばかりをまきちらし、安倍というグローバリストに盲目的に傾斜していく日本のネット「右翼」の「国民度」。
どちらが高い「国民度」をもっているかは言うまでもありません。
何を勘違いしているのか、「安倍ぴょんが、『笑っていいとも』に出た」といって大はしゃぎをし、安倍政権が推進する移民や道州制やTPPなど、自国を呑み込もうとするグローバリズムの問題と何も対峙しようとしない人々が、グローバリズムと体を張って戦う台湾人に対して「がんばれ」と声援をかけているのですから、救いようがありません。
さて、私たちは、何から何を守るべきなのでしょうか。
以前、書いた記事を引用させていただきます。
私たちが「本当に守るべきもの」とはなんでしょうか。
「国体」とか「国柄」とか、古めかしい言葉を使うのは、ここでは控えておきたいと思います。
私たちが「本当に守るべきもの」とは、私たちが、まさに今ここにおいて、現実のささやかな生活を営んでいる、この「場所」にほかなりません。
ずいぶん損なわれてきましたが、先祖から受け継いだこの「場所」は、世界の標準からすれば、かなり暮らしやすい「場所」です。
外国に比べたら格差も少なく、犯罪も少なく、相互の信頼に支えられ、安全で豊かで清潔で大変暮らしやすい「場所」です。
これからの子どもたちが現実の人生を営んでいく「場所」でもあります。
そして、TPP参加によって、この「場所」は、根底から、そして永遠に失われようとしています。
(中略)
「国」というのは抽象的な概念ではなく、私たちが生活を営む、この「場所」こそが「国」です。
どんな犠牲を払っても、私たちの家族が、子や孫が、そして子孫が生きていくであろう、この「場所」、この「故郷」、この「国」こそが守られなければならない。
英霊たちは、まさにこの「場所」、この「故郷」、この「国」のために命を捧げた。
彼らは「日米同盟」やら「デフレ脱却」やら「参院選勝利」のために命を捧げたわけではありません。
「自民党」や「安倍さん」のために命を捧げたのでもない。
妻や、子や、孫が生きることになる、具体的で現実的なこの「場所」を守り抜くために命を捨てたのです。
それなのに、現在、多くの人々が、チャンネル桜を始めとするインチキ「保守」論客に洗脳されてしまい、あらゆる犠牲を払ってでも、この「場所」、この「国」を守ろうとすることよりも、むしろ、この「場所」、この「国」を犠牲にしてまで、「日米同盟」や、「デフレ脱却」や、「憲法改正」や、「自民党」や、「安倍さん」を守ることが自分たちの義務だと信じ込んでしまっています。
「国体」とか「国柄」とか、古めかしい言葉を使うのは、ここでは控えておきたいと思います。
私たちが「本当に守るべきもの」とは、私たちが、まさに今ここにおいて、現実のささやかな生活を営んでいる、この「場所」にほかなりません。
ずいぶん損なわれてきましたが、先祖から受け継いだこの「場所」は、世界の標準からすれば、かなり暮らしやすい「場所」です。
外国に比べたら格差も少なく、犯罪も少なく、相互の信頼に支えられ、安全で豊かで清潔で大変暮らしやすい「場所」です。
これからの子どもたちが現実の人生を営んでいく「場所」でもあります。
そして、TPP参加によって、この「場所」は、根底から、そして永遠に失われようとしています。
(中略)
「国」というのは抽象的な概念ではなく、私たちが生活を営む、この「場所」こそが「国」です。
どんな犠牲を払っても、私たちの家族が、子や孫が、そして子孫が生きていくであろう、この「場所」、この「故郷」、この「国」こそが守られなければならない。
英霊たちは、まさにこの「場所」、この「故郷」、この「国」のために命を捧げた。
彼らは「日米同盟」やら「デフレ脱却」やら「参院選勝利」のために命を捧げたわけではありません。
「自民党」や「安倍さん」のために命を捧げたのでもない。
妻や、子や、孫が生きることになる、具体的で現実的なこの「場所」を守り抜くために命を捨てたのです。
それなのに、現在、多くの人々が、チャンネル桜を始めとするインチキ「保守」論客に洗脳されてしまい、あらゆる犠牲を払ってでも、この「場所」、この「国」を守ろうとすることよりも、むしろ、この「場所」、この「国」を犠牲にしてまで、「日米同盟」や、「デフレ脱却」や、「憲法改正」や、「自民党」や、「安倍さん」を守ることが自分たちの義務だと信じ込んでしまっています。
「大切な守るべきもの」とは、ある人にとっては、子かもしれない、妻かもしれない、親かもしれない、孫かもしれない、兄弟かもしれない、親類縁者かもしれない、友人かもしれない、恋人かもしれない、仕事かもしれない、将来の夢かもしれない・・・
それがどんなものであれ、「大切な守るべき」この素朴で具体的な一つ一つのものの結集した塊こそが、私たちが「日本」と呼ぶものの実体であり、中身です。
暮らしと、家族と、故郷と、国を守ることが切実な形で一つに重なっている「現場に立たされている」私たち国民にとっては、自民党安倍政権が、TPPだの道州制だのを公約において明確に取り下げない限りは、「TPP絶対反対、安倍晋三絶対支持」などという論理的に矛盾した無責任きわまりない妄言を受け入れることは、絶対にできません。
それがどんなものであれ、「大切な守るべき」この素朴で具体的な一つ一つのものの結集した塊こそが、私たちが「日本」と呼ぶものの実体であり、中身です。
暮らしと、家族と、故郷と、国を守ることが切実な形で一つに重なっている「現場に立たされている」私たち国民にとっては、自民党安倍政権が、TPPだの道州制だのを公約において明確に取り下げない限りは、「TPP絶対反対、安倍晋三絶対支持」などという論理的に矛盾した無責任きわまりない妄言を受け入れることは、絶対にできません。
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