どんな狂気と愚かさが安倍政権を作ったか
そして亡国の危機をまねいてしまったか。
どんな狂気と愚かさが安倍政権を作ったか。
そして亡国の危機をまねいてしまったか。
反省が必要なのは、私も含めて、誰も彼もです。
時代が時代なら、多くの人々が腹を切らなければならない局面です。しかし、何の謝罪も方向修正も総括もなされていないのが現状です。
安倍政権を支持し、また支持を煽った人々の多くが、未来に対する深刻な加害者となりました。にもかかわらず、
何の自省も反省も行われていません。
まるで誰も何の過ちも犯さなかったかのように皆が知らんぷりを決め込み、安倍政権の危険性を認めるましな人々であっても、騙した責任を安倍晋三一人に押し付けて、自分たちは騙された犠牲者のフリをしています。
下のような動画を作る人もそう。
彼女にはこれまで安倍政権への支持をさんざん煽ってきたことに対する反省はないのでしょうか。
動画を見て手を叩く人々もそうです。
隣国の人々と鑑写しの行動をとるようになった人々。
隣国の敵意によって敵意を刷り込まれた人々。
敵意に対して敵意で対抗してのぞめばよいと思い込んだ人々。
敵意を愛国心と取り違えた人々。
敵意を刷り込もうとする敵意を隠す人たちの期待のまま、敵意を刷り込まれてしまった人々。
隣国の敵意を通して、二元的なものの見方を刷り込まれた人々。
二元的な対立の図式を通してしか、物事が見られなくなってしまった人々。
「あれ」に対抗して「これ」を選び、「これ」に対抗して「あれ」を選びさえすれば問題が解決すると誤解した人々。
二元性を超えた、俯瞰的、総合的、客観的な視点を失った人々。
そのような人々が、安倍政権という化け物を作り出し、未来の同胞を深く傷つけることになりました。にもかかわらず、
何の自省も反省も行われていません。
慰安婦問題も、他の様々な問題と同じく、一つの指標として、どのようなものの考え方に立脚しているのか、この問題を語る人間の姿を浮き彫りにする問題です。
慰安婦問題は、日韓の対立という二元性の中から論じられてはならないものです。聞き手は日韓の対立の外側に立っているからです。
慰安婦問題は、相手に対する敵意をもちながら論じられてはならない問題です。万一、そうするならば、相手の術数に陥るだけでしょう。
慰安婦問題は、「性奴隷」か、「売春婦」かという二元的な問題ではありません。
「売春婦」と「性奴隷」が互いに排他的な概念であるならば、「慰安婦は売春婦である」と言えば話は終わりますが、現代に至るまで「売春婦」の中に一定の割合の「性奴隷」が含まれることが世界史の現実であるならば、「慰安婦は売春婦だ」と歌ったところで、「慰安婦は性奴隷ではないこと」を説明したことにはなりません。
海外にも頭の弱い人たちはいますから、その人たちに「慰安婦は売春婦だ」と歌って聞かせれば、何か理解した気になってくれるかもしれませんが、そもそも海外の頭の弱い人たちは、自国の問題以外には関心を向けません。私たちが主に語らなければならないのは海外の一定の知的レベル以上の人たちです。
少し考えれば分かる事ですが、人々は深くものごとを考えようとはしません。
「安倍ぴょん」による国を壊す危険な政策はすべて参院戦前に掲げられていたにも関わらず、そんな国家破壊者に握手をしてもらったといってはしゃぐ愚かさ。
(私は参院選前にこの方に直接言いました。どうして国を壊す危険な政策ばかり掲げている政権をそんなに熱狂的に支持しているのですかと。そして、国を守る気持ちがあるのならば、衆参のねじれの維持に協力してくださいとお願いしました。返ってきた返事は「安倍さん以外に誰がいるんだ」。参院選は政権を決める選挙ではないので、野党に投票してくださいとお願いしてもこの方に理解してもらえませんでした。)
「絶対に信じちゃ行けない言葉」をリストアップしながら、国民を愚弄するかのように公約違反を繰り返す安倍晋三の言葉をその中に決して含めない欺瞞的な偏った姿勢。
このような衆愚と呼ばざるを得ない愚かさや欺瞞性が、安倍政権による深刻な国家解体の危機を招きました。にもかかわらず、
何の自省も反省も行われていません。
慰安婦問題と同様に、これからの日本に関するあらゆる問題も、右翼か左翼か、アメリカか中国か、自由主義か社会主義か、自民党か民主党かという、あれかこれかの二元的な視点から、私たちはもはや論じ扱うことはできません。
必要なのは、私たちの中に植え付けられている、あらゆる形式の二元的な問題設定や対立を飛び越えて、鳥が上空から世界を俯瞰するような総合的で客観的な視点です。
国民がそのような俯瞰的な視点をもたない限りは、この国はいつまでも救われることはないでしょう。
しかし、あれか、これかの二元性に閉じ込められた人たちは、敵意を愛国心と取り違え、日の丸を振り回し、君が代を歌い、天皇陛下万歳と叫びながら、安倍政権へとのめり込み、亡国へと傾斜をしていきました。
その結果私たちが迎えたのが、現在の状況です。
隣国を憎めば憎むほど、日本が隣国に似てくるという皮肉な現実。
日本が隣国に似てくれば似てくるほど、ますます隣国を憎むようになる矛盾。
にも関わらず、
何の自省も反省も行われていません。
過ちはこれからも繰り返されていきます。
国の命脈がつきる最後の瞬間まで。
そして亡国の危機をまねいてしまったか。
反省が必要なのは、私も含めて、誰も彼もです。
時代が時代なら、多くの人々が腹を切らなければならない局面です。しかし、何の謝罪も方向修正も総括もなされていないのが現状です。
安倍政権を支持し、また支持を煽った人々の多くが、未来に対する深刻な加害者となりました。にもかかわらず、
何の自省も反省も行われていません。
まるで誰も何の過ちも犯さなかったかのように皆が知らんぷりを決め込み、安倍政権の危険性を認めるましな人々であっても、騙した責任を安倍晋三一人に押し付けて、自分たちは騙された犠牲者のフリをしています。
下のような動画を作る人もそう。
彼女にはこれまで安倍政権への支持をさんざん煽ってきたことに対する反省はないのでしょうか。
動画を見て手を叩く人々もそうです。
隣国の人々と鑑写しの行動をとるようになった人々。
隣国の敵意によって敵意を刷り込まれた人々。
敵意に対して敵意で対抗してのぞめばよいと思い込んだ人々。
敵意を愛国心と取り違えた人々。
敵意を刷り込もうとする敵意を隠す人たちの期待のまま、敵意を刷り込まれてしまった人々。
隣国の敵意を通して、二元的なものの見方を刷り込まれた人々。
二元的な対立の図式を通してしか、物事が見られなくなってしまった人々。
「あれ」に対抗して「これ」を選び、「これ」に対抗して「あれ」を選びさえすれば問題が解決すると誤解した人々。
二元性を超えた、俯瞰的、総合的、客観的な視点を失った人々。
そのような人々が、安倍政権という化け物を作り出し、未来の同胞を深く傷つけることになりました。にもかかわらず、
何の自省も反省も行われていません。
慰安婦問題も、他の様々な問題と同じく、一つの指標として、どのようなものの考え方に立脚しているのか、この問題を語る人間の姿を浮き彫りにする問題です。
慰安婦問題は、日韓の対立という二元性の中から論じられてはならないものです。聞き手は日韓の対立の外側に立っているからです。
慰安婦問題は、相手に対する敵意をもちながら論じられてはならない問題です。万一、そうするならば、相手の術数に陥るだけでしょう。
慰安婦問題は、「性奴隷」か、「売春婦」かという二元的な問題ではありません。
「売春婦」と「性奴隷」が互いに排他的な概念であるならば、「慰安婦は売春婦である」と言えば話は終わりますが、現代に至るまで「売春婦」の中に一定の割合の「性奴隷」が含まれることが世界史の現実であるならば、「慰安婦は売春婦だ」と歌ったところで、「慰安婦は性奴隷ではないこと」を説明したことにはなりません。
海外にも頭の弱い人たちはいますから、その人たちに「慰安婦は売春婦だ」と歌って聞かせれば、何か理解した気になってくれるかもしれませんが、そもそも海外の頭の弱い人たちは、自国の問題以外には関心を向けません。私たちが主に語らなければならないのは海外の一定の知的レベル以上の人たちです。
少し考えれば分かる事ですが、人々は深くものごとを考えようとはしません。
「安倍ぴょん」による国を壊す危険な政策はすべて参院戦前に掲げられていたにも関わらず、そんな国家破壊者に握手をしてもらったといってはしゃぐ愚かさ。
(私は参院選前にこの方に直接言いました。どうして国を壊す危険な政策ばかり掲げている政権をそんなに熱狂的に支持しているのですかと。そして、国を守る気持ちがあるのならば、衆参のねじれの維持に協力してくださいとお願いしました。返ってきた返事は「安倍さん以外に誰がいるんだ」。参院選は政権を決める選挙ではないので、野党に投票してくださいとお願いしてもこの方に理解してもらえませんでした。)
「絶対に信じちゃ行けない言葉」をリストアップしながら、国民を愚弄するかのように公約違反を繰り返す安倍晋三の言葉をその中に決して含めない欺瞞的な偏った姿勢。
このような衆愚と呼ばざるを得ない愚かさや欺瞞性が、安倍政権による深刻な国家解体の危機を招きました。にもかかわらず、
何の自省も反省も行われていません。
慰安婦問題と同様に、これからの日本に関するあらゆる問題も、右翼か左翼か、アメリカか中国か、自由主義か社会主義か、自民党か民主党かという、あれかこれかの二元的な視点から、私たちはもはや論じ扱うことはできません。
必要なのは、私たちの中に植え付けられている、あらゆる形式の二元的な問題設定や対立を飛び越えて、鳥が上空から世界を俯瞰するような総合的で客観的な視点です。
国民がそのような俯瞰的な視点をもたない限りは、この国はいつまでも救われることはないでしょう。
しかし、あれか、これかの二元性に閉じ込められた人たちは、敵意を愛国心と取り違え、日の丸を振り回し、君が代を歌い、天皇陛下万歳と叫びながら、安倍政権へとのめり込み、亡国へと傾斜をしていきました。
その結果私たちが迎えたのが、現在の状況です。
隣国を憎めば憎むほど、日本が隣国に似てくるという皮肉な現実。
日本が隣国に似てくれば似てくるほど、ますます隣国を憎むようになる矛盾。
にも関わらず、
何の自省も反省も行われていません。
過ちはこれからも繰り返されていきます。
国の命脈がつきる最後の瞬間まで。
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