漱石と日本の近代化(21)
「身投げ」を「投企」へと反転させる物語。
『草枕』という物語の中心に置かれた「鏡」(鏡池)は、この物語がもつ両面性の象徴であるのと同時に、鏡に向かって差し込む光線がその方向を変えるように、意味の「反転」の象徴でもある。
美的な超越世界へのベアトリーチェ的な「飛翔」への憧れをもって語り出された物語は、「飛翔」に、それとは鏡像関係にある、オフィリア的「落下」のイメージを重ね合わせながら、その両者を一瞬にして、ハイデッガー的な「投企」の意味へと反転させる。
この「鏡」は、画工のみならず、漱石自身の創作活動の方向性を「反転」させる意図をもって、この作品の中心に置かれている。
「鏡池」に那美さんが現れる『草枕』のクライマックスシーンは、このような象徴的な意味をもつ重要な場面なのだが、この場面を用意するために漱石は、物語の冒頭から緻密な伏線を張っていく。
現実世界から美的世界へと超越していく憧れをもって、彼独自の「非人情」の芸術論や、英詩や漢詩について思索しながら、画工は山路を登る。
多くの読者は、この冒頭の画工の芸術論だけを読んで、『草枕』は、脱俗的な人生観や芸術論を表明した小説であると誤解してしまうのだが、漱石は、この物語に、さらに深い奥行きや仕掛を用意している。
まず、画工は、山路の途上で、まるで前時代にタイムスリップしたかのように、馬子や、草鞋が吊され菓子箱の中に文久銭が散らばっている茶店の老婆といった人々に出会う。
「俎下駄」(まないたげた)という前時代の象徴と、「電車」という現代の象徴で終わる『それから』という小説と、やはり、「草鞋が吊され文久銭が散らばる茶店」という前時代の象徴と、「汽車」という現代の象徴で終わる『草枕』は、その構成が似ている。
主人公が、やがて近代社会の現実の中に「被投」されていく点も似ている。『それから』と『草枕』の違いは、現実への「被投」や、前近代から近代日本への推移というテーマが、『それから』では明示的に、『草枕』では暗示的に扱われている点である。
主人公の高等遊民長井代助を、明治の資本主義社会の中へと思い切り投下する、『それから』を執筆していたとき、漱石は、『草枕』のことを強く意識していたに違いない。
『草枕』では、画工が、ダンテ『神曲』地獄篇のカロンの渡し船を想起させる舟に乗って川を下りながら、現実の地上世界に牧歌的な仕方で戻ってくるのに対して、『それから』では、漱石は、激しく、情け容赦なく、代助を現実の中に投げ入れている。
代助が、就職活動(人間が資本主義社会の中に投下される一つのやり方)のために電車に乗ったのとは対照的に、画工は、汽車には乗らず、日露戦争に出征する(現代世界の現実の中に投下されるもう一つのやり方)ために汽車に乗る那美さんの従兄弟を見送る側にまわるのだが、『草枕』の終結場面について論じる際に、この両作品の比較を改めて行ってみたい。
さて、画工は、茶店の老婆から、この土地に伝わる「長良の乙女」という、池に身投げした女性についての伝承と、那美さんという美しい出戻りの女性のことを聞かされる。
漱石は、物語の冒頭から、画工に超俗的な芸術面を滔滔と語らせるのと同時に、画工の上昇運動を、物語の後半で、現実への下降運動(投企・参与)へと反転させる役割を担わせるために、那美さんという人物や、女の身投げの伝承を、すでに着々と用意しているのである。
次回、「長良の乙女」の伝承と、那美さんの人物像について詳述する。
それにしても、執筆当時、若干39歳だった漱石が『草枕』の中で披瀝している、英文学の知識、漢文学の知識、俳句の才能、骨董や西洋美術の審美眼、禅の知識、ハイデッガーが扱った問題を先取りしたかのような思想的視野、作品の通俗性、娯楽性も損なわない作家的配慮。すべてが舌を巻くばかりである。
(つづく)
美的な超越世界へのベアトリーチェ的な「飛翔」への憧れをもって語り出された物語は、「飛翔」に、それとは鏡像関係にある、オフィリア的「落下」のイメージを重ね合わせながら、その両者を一瞬にして、ハイデッガー的な「投企」の意味へと反転させる。
この「鏡」は、画工のみならず、漱石自身の創作活動の方向性を「反転」させる意図をもって、この作品の中心に置かれている。
「鏡池」に那美さんが現れる『草枕』のクライマックスシーンは、このような象徴的な意味をもつ重要な場面なのだが、この場面を用意するために漱石は、物語の冒頭から緻密な伏線を張っていく。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容げて、束の間まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊っとい。
住みにくき世から、住みにくき煩を引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧わく。着想を紙に落さぬとも璆鏘の音は胸裏に起こる。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自ずから心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得うれば足たる。この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺縑なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。
世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂いいよいよ深く、楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖れば寝ねる間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支ささえている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足たらぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
余の考えがここまで漂流して来た時に、余の右足は突然坐わりのわるい角石の端を踏み損くなった。平衡を保つために、すわやと前に飛び出した左足が、仕損じの埋め合わせをすると共に、余の腰は具合よく方三尺ほどな岩の上に卸りた。肩にかけた絵の具箱が腋の下から躍り出しただけで、幸いと何の事もなかった。
(出典: 夏目漱石『草枕』)
現実世界から美的世界へと超越していく憧れをもって、彼独自の「非人情」の芸術論や、英詩や漢詩について思索しながら、画工は山路を登る。
多くの読者は、この冒頭の画工の芸術論だけを読んで、『草枕』は、脱俗的な人生観や芸術論を表明した小説であると誤解してしまうのだが、漱石は、この物語に、さらに深い奥行きや仕掛を用意している。
まず、画工は、山路の途上で、まるで前時代にタイムスリップしたかのように、馬子や、草鞋が吊され菓子箱の中に文久銭が散らばっている茶店の老婆といった人々に出会う。
「おい」と声を掛けたが返事がない。
軒下から奥を覗くと煤けた障子が立て切ってある。向う側は見えない。五六足の草鞋が淋しそうに庇から吊るされて、屈托気にふらりふらりと揺れる。下に駄菓子の箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と文久銭が散らばっている。
「おい」とまた声をかける。土間の隅に片寄せてある臼の上に、ふくれていた鶏が、驚ろいて眼をさます。ククク、クククと騒ぎ出す。敷居の外に土竈が、今しがたの雨に濡れて、半分ほど色が変ってる上に、真黒な茶釜がかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸い下は焚きつけてある。
返事がないから、無断でずっと這入って、床几の上へ腰を卸した。鶏は羽摶きをして臼から飛び下りる。今度は畳の上へあがった。障子がしめてなければ奥まで馳けぬける気かも知れない。雄が太い声でこけっこっこと云うと、雌が細い声でけけっこっこと云う。まるで余を狐か狗のように考えているらしい。床几の上には一升枡ほどな煙草盆が閑静に控えて、中にはとぐろを捲まいた線香が、日の移るのを知らぬ顔で、すこぶる悠長に燻っている。雨はしだいに収まる。
しばらくすると、奥の方から足音がして、煤けた障子がさらりと開く。なかから一人の婆さんが出る。
どうせ誰か出るだろうとは思っていた。竈に火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑気に燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の見世を明け放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。
二三年前宝生の舞台で高砂を見た事がある。その時これはうつくしい活人画だと思った。箒を担いだ爺さんが橋懸を五六歩来て、そろりと後向きになって、婆さんと向い合う。その向い合うた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔がほとんど真むきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。
「御婆さん、ここをちょっと借りたよ」
「はい、これは、いっこう存じませんで」
「だいぶ降ったね」
「あいにくな御天気で、さぞ御困りで御座んしょ。おおおおだいぶお濡れなさった。今火を焚いて乾して上げましょ」
「そこをもう少し燃しつけてくれれば、あたりながら乾かすよ。どうも少し休んだら寒くなった」
「へえ、ただいま焚いて上げます。まあ御茶を一つ」
と立ち上がりながら、しっしっと二声で鶏を追い下げる。ここここと馳け出した夫婦は、焦茶色の畳から、駄菓子箱の中を踏みつけて、往来へ飛び出す。雄の方が逃げるとき駄菓子の上へ糞を垂たれた。
「まあ一つ」と婆さんはいつの間にか刳り抜き盆の上に茶碗をのせて出す。茶の色の黒く焦げている底に、一筆がきの梅の花が三輪無雑作に焼き付けられている。
「御菓子を」と今度は鶏の踏みつけた胡麻ねじと微塵棒を持ってくる。糞はどこぞに着いておらぬかと眺めて見たが、それは箱のなかに取り残されていた。
(出典: 夏目漱石『草枕』)
「俎下駄」(まないたげた)という前時代の象徴と、「電車」という現代の象徴で終わる『それから』という小説と、やはり、「草鞋が吊され文久銭が散らばる茶店」という前時代の象徴と、「汽車」という現代の象徴で終わる『草枕』は、その構成が似ている。
主人公が、やがて近代社会の現実の中に「被投」されていく点も似ている。『それから』と『草枕』の違いは、現実への「被投」や、前近代から近代日本への推移というテーマが、『それから』では明示的に、『草枕』では暗示的に扱われている点である。
主人公の高等遊民長井代助を、明治の資本主義社会の中へと思い切り投下する、『それから』を執筆していたとき、漱石は、『草枕』のことを強く意識していたに違いない。
『草枕』では、画工が、ダンテ『神曲』地獄篇のカロンの渡し船を想起させる舟に乗って川を下りながら、現実の地上世界に牧歌的な仕方で戻ってくるのに対して、『それから』では、漱石は、激しく、情け容赦なく、代助を現実の中に投げ入れている。
代助が、就職活動(人間が資本主義社会の中に投下される一つのやり方)のために電車に乗ったのとは対照的に、画工は、汽車には乗らず、日露戦争に出征する(現代世界の現実の中に投下されるもう一つのやり方)ために汽車に乗る那美さんの従兄弟を見送る側にまわるのだが、『草枕』の終結場面について論じる際に、この両作品の比較を改めて行ってみたい。
さて、画工は、茶店の老婆から、この土地に伝わる「長良の乙女」という、池に身投げした女性についての伝承と、那美さんという美しい出戻りの女性のことを聞かされる。
漱石は、物語の冒頭から、画工に超俗的な芸術面を滔滔と語らせるのと同時に、画工の上昇運動を、物語の後半で、現実への下降運動(投企・参与)へと反転させる役割を担わせるために、那美さんという人物や、女の身投げの伝承を、すでに着々と用意しているのである。
次回、「長良の乙女」の伝承と、那美さんの人物像について詳述する。
それにしても、執筆当時、若干39歳だった漱石が『草枕』の中で披瀝している、英文学の知識、漢文学の知識、俳句の才能、骨董や西洋美術の審美眼、禅の知識、ハイデッガーが扱った問題を先取りしたかのような思想的視野、作品の通俗性、娯楽性も損なわない作家的配慮。すべてが舌を巻くばかりである。
(つづく)
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