漱石と日本の近代化(17)
漱石とハイデッガー(1)
20世紀最大の哲学者と呼ばれるマルティン・ハイデッガーという、漱石より約二十歳若いドイツ人哲学者が著名になっていったのは、夏目漱石が1916年になくなった後のことである。
漱石は生前ハイデッガーのことを知らなかっただろうし、多くの日本人の学者と親交を持ち、西田幾多郎の論文や鈴木大拙の著作には目を通したことがあると言われるハイデッガーも、夏目漱石という小説家のことまで知っていたかどうかは定かではない。
だから、漱石とハイデッガーには直接の関係があるとは言えないのだが、この両者は、似たような問題意識を持ち、まったく無関係とは言えないある因縁で結ばれている。
『草枕』について詳述する前に、もう少しだけ遠回りをお許しいただき、漱石と関連の深いハイデッガーの思想について簡単に述べておきたい。
19世紀のデンマークの首都コペンハーゲンに、市民から嘲笑され、「コルサル」というゴシップ新聞のネタにされながら、狂人のような身なりで街を歩く一人の高等遊民が住んでいた。
その名をセーレン・キルケゴールという。
キルケゴールは、富裕な商人であった父親から受け継いだ莫大な財産のおかげで、生涯定職につくことはなかった。
彼は、自分より一回りも若い少女に恋に落ち、自分から熱心に結婚を乞いながら、相手から承諾を得たとたんに理由を告げずに婚約を破棄し、その後、他の男性と結婚することになったレギーネ・オルセンというこの女性に捧げるために、42歳でなくなるまで、様々なペンネームをつかって、哲学的、宗教的、美学的な書物を書きつづけた。
レギーネへの間接的なラブレターとして書かれた、『死に至る病』『あれか、これか』『不安の概念』『現代の批判』などの著作は、「実存主義」と呼ばれる思潮の嚆矢となり、20世紀の哲学や文化に大きな影響を与えた。
「実存」(existence)とは、「存在」(being)や「本質」( essense)という一般的な概念の対立概念であり、具体的で個別的な、現実に存在する「私」としての人間のことである。
キルケゴールは、
と述べて、現実的で具体的な「実存」の問題が扱われない抽象的で客観的なヘーゲルの学問を痛烈に批判し、
と、22歳のときに旅したギーレライエ岬で手記に記した言葉の通りに、その生涯を全うした。
生前には、コペンハーゲンの同時代人からは嘲り笑われていたキルケゴールだが、彼の美しくも切実な文章は、その後、世界中の多くの人々の共感を惹き寄せることになった。
しかし、彼の魅力的な「実存」の哲学には、ある深刻な問題が含まれていた。
キルケゴールのように、具体的で個別的な「実存」の側に立ち、「私にとって真理であるような真理」を追求しようとすると、「存在」について論じたヘーゲルが、「国家」や「家庭」や「社会」のような普遍性をもつ一般的な存在を扱ったのと対照的に、「単独者」(der Einzelne)として、「世界」に背を向け、「世界」から孤立することになってしまう。
この、個別的な「実存」と一般的な「存在」の対立関係は、デカルト以来、西洋で伝統的に踏襲されてきた主観と客観の二元論に遠因をもつものなのだが、ハイデッガーは、この近代的な二元論を克服し、「存在」を「実存」(「現存在」と彼は呼んだ)の中に理論的に基礎づけるのと同時に、キルケゴールでは自己の中に閉塞し、世界から孤立しがちだった「実存」(existence)を、「ex-sistence」(外に立つもの)として、さらに「世界の内に存在するもの」(Das in der Welt Sein)として規定しなおし、「実存」と「存在」の相関的・相補的な関係を明らかにしようとした。
彼はまた、「現存在」(具体的な現実の姿で存在する人間)は、自分が創造したわけでも、選択したわけでもない、よそよそしい世界に投げ出されてしまっている「被投性」をもつが、同時に、その「被投性」を引き受けて、自己のあり方を世界の中で創造していく主体性をもつとし、これを「投企」(Entwurf, 設計や構想の意味)と呼んだ。
『絵で分かる現代思想』という本の説明が分かりやすいので引用しておこう。
「自分が選んだり、造ったりしたわけでもない世界に否応なく投げ込まれてしまっ」たのは、まさに明治以降の日本人の姿そのものであるし、その「被投性」を「不安」を通して切実に感じ取っていたのが漱石という明治の知識人であるし、明治以降の日本人は、西洋化・文明化の波の中で何度もおぼれそうになりながらも、その「被投性」を引き受けて、なんとか自分たちのあり方を決めようと「投企」してきた。
ハイデッガーのいう「現存在」の説明は、漱石も含めた、明治以降の日本人の姿そのものなのだが、これは必ずしも偶然とは言えないふしがある。
(つづく)
漱石は生前ハイデッガーのことを知らなかっただろうし、多くの日本人の学者と親交を持ち、西田幾多郎の論文や鈴木大拙の著作には目を通したことがあると言われるハイデッガーも、夏目漱石という小説家のことまで知っていたかどうかは定かではない。
だから、漱石とハイデッガーには直接の関係があるとは言えないのだが、この両者は、似たような問題意識を持ち、まったく無関係とは言えないある因縁で結ばれている。
『草枕』について詳述する前に、もう少しだけ遠回りをお許しいただき、漱石と関連の深いハイデッガーの思想について簡単に述べておきたい。
19世紀のデンマークの首都コペンハーゲンに、市民から嘲笑され、「コルサル」というゴシップ新聞のネタにされながら、狂人のような身なりで街を歩く一人の高等遊民が住んでいた。
その名をセーレン・キルケゴールという。
キルケゴールは、富裕な商人であった父親から受け継いだ莫大な財産のおかげで、生涯定職につくことはなかった。
彼は、自分より一回りも若い少女に恋に落ち、自分から熱心に結婚を乞いながら、相手から承諾を得たとたんに理由を告げずに婚約を破棄し、その後、他の男性と結婚することになったレギーネ・オルセンというこの女性に捧げるために、42歳でなくなるまで、様々なペンネームをつかって、哲学的、宗教的、美学的な書物を書きつづけた。
レギーネへの間接的なラブレターとして書かれた、『死に至る病』『あれか、これか』『不安の概念』『現代の批判』などの著作は、「実存主義」と呼ばれる思潮の嚆矢となり、20世紀の哲学や文化に大きな影響を与えた。
「実存」(existence)とは、「存在」(being)や「本質」( essense)という一般的な概念の対立概念であり、具体的で個別的な、現実に存在する「私」としての人間のことである。
キルケゴールは、
ある思想家が、巨大な建物を、体系を、全現存在と世界史等を包括するような体系を打ち建てた。さてしかし、彼の個人的生活を見てみるに、驚くべきことに次のような恐るべきこと、笑うべきことが発見されるのだ。すなわち、彼は人格的に、この巨大な高い丸天井の宮殿に住まずして、傍らの納屋か犬小屋か、せいぜい門番小屋に住んでいるのである。
<出典: キルケゴール『死に至る病』山下秀智訳>
と述べて、現実的で具体的な「実存」の問題が扱われない抽象的で客観的なヘーゲルの学問を痛烈に批判し、
私にとって真理であるような真理を発見し、私がそのために生き、そして死にたいと思うようなイデーを発見することが必要なのだ。いわゆる客観的真理などをさがしだして見たところでなんの役に立つだろう。哲学者たちの打ち立てた諸体系をあれこれと研究し、求められればそれについて評論を書き、それぞれの体系内に見られる不整合な点を指摘しえたにしたところで、何の役に立とう。堂々たる国家論を展開し、あらゆるところから抜き取ってきたきれぎれの知識をつなぎ合わせて一つの体系にまとめあげ、一つの世界を構成しえたにしたところで、私がその世界に生きるわけでなく、ただ他人の供覧に呈するというにすぎないのでは、私にとって何の役に立とう。
(出典: キルケゴール「ギーレライエの手記」)
と、22歳のときに旅したギーレライエ岬で手記に記した言葉の通りに、その生涯を全うした。
生前には、コペンハーゲンの同時代人からは嘲り笑われていたキルケゴールだが、彼の美しくも切実な文章は、その後、世界中の多くの人々の共感を惹き寄せることになった。
しかし、彼の魅力的な「実存」の哲学には、ある深刻な問題が含まれていた。
キルケゴールのように、具体的で個別的な「実存」の側に立ち、「私にとって真理であるような真理」を追求しようとすると、「存在」について論じたヘーゲルが、「国家」や「家庭」や「社会」のような普遍性をもつ一般的な存在を扱ったのと対照的に、「単独者」(der Einzelne)として、「世界」に背を向け、「世界」から孤立することになってしまう。
この、個別的な「実存」と一般的な「存在」の対立関係は、デカルト以来、西洋で伝統的に踏襲されてきた主観と客観の二元論に遠因をもつものなのだが、ハイデッガーは、この近代的な二元論を克服し、「存在」を「実存」(「現存在」と彼は呼んだ)の中に理論的に基礎づけるのと同時に、キルケゴールでは自己の中に閉塞し、世界から孤立しがちだった「実存」(existence)を、「ex-sistence」(外に立つもの)として、さらに「世界の内に存在するもの」(Das in der Welt Sein)として規定しなおし、「実存」と「存在」の相関的・相補的な関係を明らかにしようとした。
彼はまた、「現存在」(具体的な現実の姿で存在する人間)は、自分が創造したわけでも、選択したわけでもない、よそよそしい世界に投げ出されてしまっている「被投性」をもつが、同時に、その「被投性」を引き受けて、自己のあり方を世界の中で創造していく主体性をもつとし、これを「投企」(Entwurf, 設計や構想の意味)と呼んだ。
『絵で分かる現代思想』という本の説明が分かりやすいので引用しておこう。
ハイデガーは、人間が世界を構成する純粋意識ではなく、自分が選んだり、造ったりしたわけでもない世界に否応なく投げ込まれてしまっている存在であると指摘した。
人間は否応なしにこの世界を生きなければならない。このすべての人間に共通した状態をハイデガーは「被投性」と名づけた。
そして、被投性は、気分(とりわけ、不安)を通して自覚される。
たとえば、日常生活の中でぼっかり空いたエアポケットのような瞬間に、「どうして俺はここにこうして生きているのか?」、あるいは、「やがて死ぬ自分にとって、生きることにどんな意味があるのか?」といった不安を抱えた問いが、誰にも忍び寄る。
このとき、われわれは「どうして自分はここに存在するのか?」という不安から、自分がこの世界に投げ込まれており、ここから決して逃れられないこと(被投性)を自覚せざるをえない。
いったん、被投性を自覚すると、ヒトは、いつか自分が死によって、この世界から強制的に退場させられる事に気がつく。
自分の死を鋭く意識することをハイデガーは死への「先駆的覚悟性」と呼んだ。
この死の自覚からさらに自分の生の意味をもう一度捉えなおし、再構成する試みが始まる。
この試みは投企と呼ばれる。
(出典: VALIS DEUX『絵でわかる現代思想』)
「自分が選んだり、造ったりしたわけでもない世界に否応なく投げ込まれてしまっ」たのは、まさに明治以降の日本人の姿そのものであるし、その「被投性」を「不安」を通して切実に感じ取っていたのが漱石という明治の知識人であるし、明治以降の日本人は、西洋化・文明化の波の中で何度もおぼれそうになりながらも、その「被投性」を引き受けて、なんとか自分たちのあり方を決めようと「投企」してきた。
ハイデッガーのいう「現存在」の説明は、漱石も含めた、明治以降の日本人の姿そのものなのだが、これは必ずしも偶然とは言えないふしがある。
(つづく)
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