漱石と日本の近代化(11)
猫とファム・ファタール。
漱石の作品の中で、私が最も好きなのは、『吾輩は猫である』です。
最初に読んだのは小学生の時でした。
同級生に、読書を競い合っていた仲のよい女の子がいて、その子が「ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』を読んだ」と言うと、私も負けじと、「夏目漱石の『こころ』を読んだ」というように、ちょっと背伸びした読書をしていたため、小学生の時に、漱石の小説はほとんど読破してしまっていました。
中でも、はまってしまったのが、『吾輩は猫である』でした。
以来、この小説を何回読み返したかわかりません。
これまで、漱石の作品をあまり読んだことのない方におすすめしたいのが、Audibleというアマゾンのサービスです。
定額で、漱石の小説も含めて、様々な小説を朗読したものを自由に聴くことができます。
私は最近、移動時間中に、漱石の小説をスマホで聴いています。
『吾輩は猫である』は、パン・ローリングという会社が制作している、渡辺知明という方の朗読がとても優れており、落語のような軽妙な語り口で、この作品を楽しむことができます。
電車の中で聞いていると、あまりにおかしくて吹き出してしまうのが困った点ですが。
『吾輩は猫である』は、抱腹絶倒の面白いエピソードが満載のユーモア小説ですが、いくつかおもしろい箇所をご紹介したいと思います。
『吾輩は猫である』は、苦沙弥先生と彼をを取り巻く人々のたわいもない会話や出来事を、とりとめもなく猫の視点から記述したもので、特に際だったあらすじ(プロット)はないのですが、「猫」全編を通して繰り返し現れるモチーフがあります。
それは、苦沙弥先生を中心とする「インテリ(教養人)」グループと、苦沙弥先生と同じ町内に暮らす富豪の「実業家」金田家との対立です。
苦沙弥先生は、はっきりと「実業家は嫌いだ」といい、金田家は金田家で、苦沙弥先生を貧乏人の変人として馬鹿にし、苦沙弥先生の家の隣にある落雲館中学の学生をそそのかして、野球のボールを苦沙弥先生の敷地に一日に十何回も侵入させるといういやがらせを働きます。
ふだんは、苦沙弥先生のことを馬鹿にしている猫も、苦沙弥先生の実業家嫌いには同調しています。
苦沙弥先生の家に出入りするインテリグループの中でも「迷亭」という美学者は、苦沙弥先生とは対照的な立ち位置を占めており、近代化を牽引する実業界を毛嫌いする頑固な苦沙弥先生とは異なり、融通無碍に明治の世を闊歩しています。ただし、この人物は、嘘つきの軽薄才子として描かれています。
また、寺田寅彦をモデルにしたと言われる「水島寒月」という苦沙弥先生の家に出入りする科学者の卵と、金田家の令嬢との間の、どこからふってわいたかわからぬ結婚話が、『猫』全編を通じて、繰り返し取り上げられるのですが、この結婚話は結局、破談に終わります。
水島寒月と金田家令嬢との結婚は、明治の世にあって「教養」と「実業」の融和は可能なのかという問題の暗喩であると考えられ、この両者の破談は、「教養」と「実業」の決裂と分裂を暗示しています。
(水島寒月は、出身地の女性と結婚する。) 漱石は、外発的に文明が導入された明治の日本では、日本人が、自らの内面に根ざす、真の意味での「教養」を持とうとすれば「実業」などできないし、逆に「実業」に携わって、日本の外発的な発展に貢献しようとすれば、それは自らの内面と対立することになるという矛盾を、『吾輩は猫である』というユーモラスな大衆小説の中で突きつけているのです。
「教養」と「実業」の対立という、『吾輩は猫である』がさりげなく掲げた問題は、晩年の作品に至るまで反復されるモチーフとなり、苦沙弥先生と金田に象徴される、「教養人」と「実業家」という対照的な人物類型も、『猫』以降の作品の中で、形を変えて登場するようになります。
『それから』の主人公の代助(高等遊民の教養人)と、彼の父や兄(実業家)はその好例です。
しかし、漱石の後の作品に繰り返し登場して『猫』が決定的に欠いている人物類型があり、それは、ファム・ファタール(運命の女・魔性の女)としての女性の存在です。
『猫』に登場する女性は、苦沙弥先生の細君にしろ、下女にしろ、苦沙弥先生の姪の雪江さんにしろ、金田の細君にしろ、金田の令嬢にしろ、皆、男たちと同じ地平に暮らす、ごく日常的で人畜無害な人々として描かれています。
ところが、『猫』以降の、『草枕』『虞美人草』『三四郎』のような比較的初期の漱石の作品になると、強い個性や際だった美貌をもって男を翻弄するファム・ファタールが、登場しはじめます。
これには、漱石の弟子の森田草平と「煤煙事件」という心中未遂事件を起こした平塚らいてう(「元始、女性は太陽であった」の言葉で有名な女性運動家)の影響があると言われていますが、さらに後期の作品になると、ファム・ファタールは女性全般へと一般化され、強い個性を持たないごく普通の女性たちもが、ファム・ファタールとして描かれるようになっていきます。
たとえば、『こころ』のような晩年の作品になると、ごくありふれた下宿先のお嬢さんが、男たちの主観というフィルターを透過して、ファム・ファタールに転じていく様が描かれています。(この女性は自分が「ファム・ファタール」であったことに気付いてすらいない。)
近代文明と心の齟齬に悩むと同時に、始原性(超近代性/前近代性/非合理性)をそなえた女性を理性の中に絡め取ろうとしてもがかずにはおれない、「文明」に冒された近代日本人の姿が、漱石の作品の中で、執拗に描かれています。
漱石の小説の主人公たちは、「文明」と「始原」(女性)の間で、どちらにも帰属できずに、彷徨する存在として描かれているのです。
さて、さきほど、『猫』には、「自然」や「始原」を象徴するファム・ファタールとしての女性は登場しないと述べましたが、実は、「猫」という存在自体が、ファム・ファタールの代わりに、「始原」や「自然」や「野生」からの視点を、私たち読者に提示しています。
『吾輩は猫である』のナレーターである猫が、人ならざるものとしての窮極の始原性を提示しているため、この作品には、ファム・ファタールは不要であるし、仮に『草枕』の那美さんや、『虞美人草』の藤尾や、『三四郎』の美穪子のようなファム・ファタールたちが物語の中に侵入しようとしても、(金田の令嬢は美貌やモダンな振る舞いというファム・ファタールに転じうる素質を備えていました)、「猫」という野生の観点からは、ファム・ファタールは相対化され陳腐化され滑稽化されてしまうのです。
日本の近代化の問題に心を痛めた漱石と、彼の同時代人たちが、『吾輩は猫である』という作品を必要とした理由は、この作品が提示した、近代を包摂する「野生」(非人間・非近代・前近代)からの視点にあると私は考えています。
(少しずつ詳述しますが、『吾輩は猫である』が提示する「猫」からの視点は、「私の個人主義」という講演のタイトルとも関係しています。「我思う故に我あり」に立脚する西洋の近代的個人主義の前に冠せられた「私」、個人主義を包摂する「私」、近代的個我(=苦沙弥先生)を包摂する「私」(=猫)とは、結局何者かという問題です。当然、「猫」=「私」なのですが、ここでの「私」とは、単なる近代的個我ではなく、漱石自身の言葉を借りるならば、「余の意志以上の意志」のことです。)
『草枕』は、『猫』と本質的には、同じアプローチ(社会の外部からの観察)で書かれた小説ですが、ナレーターの「画工」は、人間の男であるがゆえに、ファム・ファタールに対して猫ほどの耐性を示すことができません。この作品では、ファム・ファタールと、文明の外部に佇もうとするナレーターの間に、きわどい駆け引きが展開されています。
(あとで述べますが、『草枕』のファム・ファタールは、ヌードになって「画工」の前に現れさえするのですが、「画工」は、なんとか第三者的な立場を守り通します。)
『それから』では、高等遊民(社会の外部からの観察者)は、ファム・ファタールに籠絡されて、近代文明の中に完全に吞み込まれて電車に連れ去れてしまいますが、『草枕』では、その一歩的前のぎりぎりのところで踏みとどまり、(「画工」は『それから』と対照的に小説の最後に汽車に乗らずに見送る)、『猫』的な観察的・写生的な文学を完遂させています。
まあ、慌てずに少しずつ論じていきましょう。
(つづく)
最初に読んだのは小学生の時でした。
同級生に、読書を競い合っていた仲のよい女の子がいて、その子が「ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』を読んだ」と言うと、私も負けじと、「夏目漱石の『こころ』を読んだ」というように、ちょっと背伸びした読書をしていたため、小学生の時に、漱石の小説はほとんど読破してしまっていました。
中でも、はまってしまったのが、『吾輩は猫である』でした。
以来、この小説を何回読み返したかわかりません。
これまで、漱石の作品をあまり読んだことのない方におすすめしたいのが、Audibleというアマゾンのサービスです。
定額で、漱石の小説も含めて、様々な小説を朗読したものを自由に聴くことができます。
私は最近、移動時間中に、漱石の小説をスマホで聴いています。
『吾輩は猫である』は、パン・ローリングという会社が制作している、渡辺知明という方の朗読がとても優れており、落語のような軽妙な語り口で、この作品を楽しむことができます。
電車の中で聞いていると、あまりにおかしくて吹き出してしまうのが困った点ですが。
『吾輩は猫である』は、抱腹絶倒の面白いエピソードが満載のユーモア小説ですが、いくつかおもしろい箇所をご紹介したいと思います。
台所へ廻って見る。今朝見た通りの餅が、今朝見た通りの色で椀の底に膠着している。白状するが餅というものは今まで一辺も口に入れた事がない。見るとうまそうにもあるし、また少しは気味がわるくもある。前足で上にかかっている菜っ葉を掻き寄せる。爪を見ると餅の上皮が引き掛ってねばねばする。嗅いで見ると釜の底の飯を御櫃へ移す時のような香がする。食おうかな、やめようかな、とあたりを見廻す。幸か不幸か誰もいない。御三は暮も春も同じような顔をして羽根をついている。小供は奥座敷で「何とおっしゃる兎さん」を歌っている。食うとすれば今だ。もしこの機をはずすと来年までは餅というものの味を知らずに暮してしまわねばならぬ。吾輩はこの刹那に猫ながら一の真理を感得した。「得難き機会はすべての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」吾輩は実を云うとそんなに雑煮を食いたくはないのである。否椀底の様子を熟視すればするほど気味が悪くなって、食うのが厭になったのである。この時もし御三でも勝手口を開けたなら、奥の小供の足音がこちらへ近付くのを聞き得たなら、吾輩は惜気もなく椀を見棄てたろう、しかも雑煮の事は来年まで念頭に浮ばなかったろう。ところが誰も来ない、いくら躊躇していても誰も来ない。早く食わぬか食わぬかと催促されるような心持がする。吾輩は椀の中を覗き込みながら、早く誰か来てくれればいいと念じた。やはり誰も来てくれない。吾輩はとうとう雑煮を食わなければならぬ。最後にからだ全体の重量を椀の底へ落すようにして、あぐりと餅の角を一寸ばかり食い込んだ。このくらい力を込めて食い付いたのだから、大抵なものなら噛み切れる訳だが、驚いた! もうよかろうと思って歯を引こうとすると引けない。もう一辺ぺん噛み直そうとすると動きがとれない。餅は魔物だなと疳づいた時はすでに遅かった。沼へでも落ちた人が足を抜こうと焦慮るたびにぶくぶく深く沈むように、噛めば噛むほど口が重くなる、歯が動かなくなる。歯答えはあるが、歯答えがあるだけでどうしても始末をつける事が出来ない。美学者迷亭先生がかつて吾輩の主人を評して君は割り切れない男だといった事があるが、なるほどうまい事をいったものだ。この餅も主人と同じようにどうしても割り切れない。噛んでも噛んでも、三で十を割るごとく尽未来際方のつく期はあるまいと思われた。この煩悶の際吾輩は覚えず第二の真理に逢着した。「すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」真理はすでに二つまで発明したが、餅がくっ付いているので毫も愉快を感じない。歯が餅の肉に吸収されて、抜けるように痛い。早く食い切って逃げないと御三が来る。小供の唱歌もやんだようだ、きっと台所へ馳かけ出して来るに相違ない。煩悶の極尻尾をぐるぐる振って見たが何等の功能もない、耳を立てたり寝かしたりしたが駄目である。考えて見ると耳と尻尾は餅と何等の関係もない。要するに振り損の、立て損の、寝かし損であると気が付いたからやめにした。ようやくの事これは前足の助けを借りて餅を払い落すに限ると考え付いた。まず右の方をあげて口の周囲を撫で廻す。撫でたくらいで割り切れる訳のものではない。今度は左の方を伸ばして口を中心として急劇に円を劃して見る。そんな呪で魔は落ちない。辛防が肝心だと思って左右交わる交わるに動かしたがやはり依然として歯は餅の中にぶら下っている。ええ面倒だと両足を一度に使う。すると不思議な事にこの時だけは後足二本で立つ事が出来た。何だか猫でないような感じがする。猫であろうが、あるまいがこうなった日にゃあ構うものか、何でも餅の魔が落ちるまでやるべしという意気込みで無茶苦茶に顔中引っ掻かき廻す。前足の運動が猛烈なのでややともすると中心を失って倒れかかる。倒れかかるたびに後足で調子をとらなくてはならぬから、一つ所にいる訳にも行かんので、台所中あちら、こちらと飛んで廻る。我ながらよくこんなに器用に起っていられたものだと思う。第三の真理が驀地に現前する。「危きに臨めば平常なし能わざるところのものを為なし能う。之を天祐という」幸に天祐を享けたる吾輩が一生懸命餅の魔と戦っていると、何だか足音がして奥より人が来るような気合である。ここで人に来られては大変だと思って、いよいよ躍起となって台所をかけ廻る。足音はだんだん近付いてくる。ああ残念だが天祐が少し足りない。とうとう小供に見付けられた。「あら猫が御雑煮を食べて踊を踊っている」と大きな声をする。この声を第一に聞きつけたのが御三である。羽根も羽子板も打ち遣やって勝手から「あらまあ」と飛込んで来る。細君は縮緬の紋付で「いやな猫ねえ」と仰せられる。主人さえ書斎から出て来て「この馬鹿野郎」といった。面白い面白いと云うのは小供ばかりである。そうしてみんな申し合せたようにげらげら笑っている。腹は立つ、苦しくはある、踊はやめる訳にゆかぬ、弱った。ようやく笑いがやみそうになったら、五つになる女の子が「御かあ様、猫も随分ね」といったので狂瀾を既倒に何とかするという勢でまた大変笑われた。人間の同情に乏しい実行も大分見聞したが、この時ほど恨めしく感じた事はなかった。ついに天祐もどっかへ消え失うせて、在来の通り四這ばいになって、眼を白黒するの醜態を演ずるまでに閉口した。さすが見殺しにするのも気の毒と見えて「まあ餅をとってやれ」と主人が御三に命ずる。御三はもっと踊らせようじゃありませんかという眼付で細君を見る。細君は踊は見たいが、殺してまで見る気はないのでだまっている。「取ってやらんと死んでしまう、早くとってやれ」と主人は再び下女を顧りみる。御三は御馳走を半分食べかけて夢から起された時のように、気のない顔をして餅をつかんでぐいと引く。寒月君じゃないが前歯がみんな折れるかと思った。どうも痛いの痛くないのって、餅の中へ堅く食い込んでいる歯を情容赦もなく引張るのだからたまらない。吾輩が「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」と云う第四の真理を経験して、けろけろとあたりを見廻した時には、家人はすでに奥座敷へ這入ってしまっておった。
(出典: 夏目漱石『吾輩は猫である』)
主人は何と思ったか、ふいと立って書斎の方へ行ったがやがて一枚の半紙を持って出てくる。「東風君の御作も拝見したから、今度は僕が短文を読んで諸君の御批評を願おう」といささか本気の沙汰である。「天然居士の墓碑銘ならもう二三遍拝聴したよ」「まあ、だまっていなさい。東風さん、これは決して得意のものではありませんが、ほんの座興ですから聴いて下さい」「是非伺がいましょう」「寒月君もついでに聞き給え」「ついででなくても聴きますよ。長い物じゃないでしょう」「僅々六十余字さ」と苦沙弥先生いよいよ手製の名文を読み始める。
「大和魂! と叫んで日本人が肺病やみのような咳をした」
「起し得て突兀ですね」と寒月君がほめる。
「大和魂! と新聞屋が云う。大和魂! と掏摸(すり)が云う。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。独逸で大和魂の芝居をする」
「なるほどこりゃ天然居士以上の作だ」と今度は迷亭先生がそり返って見せる。
「東郷大将が大和魂を有っている。肴屋の銀さんも大和魂を有っている。詐偽師、山師、人殺しも大和魂を有っている」 「先生そこへ寒月も有っているとつけて下さい」
「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。五六間行ってからエヘンと云う声が聞こえた」
「その一句は大出来だ。君はなかなか文才があるね。それから次の句は」
「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている」
「先生だいぶ面白うございますが、ちと大和魂が多過ぎはしませんか」と東風君が注意する。「賛成」と云ったのは無論迷亭である。
「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇った者がない。大和魂はそれ天狗の類いか」
主人は一結杳然と云うつもりで読み終ったが、さすがの名文もあまり短か過ぎるのと、主意がどこにあるのか分りかねるので、三人はまだあとがある事と思って待っている。いくら待っていても、うんとも、すんとも、云わないので、最後に寒月が「それぎりですか」と聞くと主人は軽ろく「うん」と答えた。うんは少し気楽過ぎる。
(出典: 夏目漱石『吾輩は猫である』)
『吾輩は猫である』は、苦沙弥先生と彼をを取り巻く人々のたわいもない会話や出来事を、とりとめもなく猫の視点から記述したもので、特に際だったあらすじ(プロット)はないのですが、「猫」全編を通して繰り返し現れるモチーフがあります。
それは、苦沙弥先生を中心とする「インテリ(教養人)」グループと、苦沙弥先生と同じ町内に暮らす富豪の「実業家」金田家との対立です。
苦沙弥先生は、はっきりと「実業家は嫌いだ」といい、金田家は金田家で、苦沙弥先生を貧乏人の変人として馬鹿にし、苦沙弥先生の家の隣にある落雲館中学の学生をそそのかして、野球のボールを苦沙弥先生の敷地に一日に十何回も侵入させるといういやがらせを働きます。
ふだんは、苦沙弥先生のことを馬鹿にしている猫も、苦沙弥先生の実業家嫌いには同調しています。
先刻からこの体を目撃していた主人は、一言も云わずに、専心自分の飯を食い、自分の汁を飲んで、この時はすでに楊枝を使っている最中であった。主人は娘の教育に関して絶体的放任主義を執るつもりと見える。今に三人が海老茶式部か鼠式部かになって、三人とも申し合せたように情夫をこしらえて出奔しても、やはり自分の飯を食って、自分の汁を飲んで澄まして見ているだろう。働きのない事だ。しかし今の世の働きのあると云う人を拝見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻って馬の眼玉を抜く事と、虚勢を張って人をおどかす事と、鎌をかけて人を陥しいれる事よりほかに何も知らないようだ。中学などの少年輩までが見様見真似に、こうしなくては幅が利かないと心得違いをして、本来なら赤面してしかるべきのを得々と履行して未来の紳士だと思っている。これは働き手と云うのではない。ごろつき手と云うのである。吾輩も日本の猫だから多少の愛国心はある。こんな働き手を見るたびに撲ってやりたくなる。こんなものが一人でも殖えれば国家はそれだけ衰える訳である。こんな生徒のいる学校は、学校の恥辱であって、こんな人民のいる国家は国家の恥辱である。恥辱であるにも関らず、ごろごろ世間にごろついているのは心得がたいと思う。日本の人間は猫ほどの気概もないと見える。情ない事だ。
(出典: 夏目漱石『吾輩は猫である』)
苦沙弥先生の家に出入りするインテリグループの中でも「迷亭」という美学者は、苦沙弥先生とは対照的な立ち位置を占めており、近代化を牽引する実業界を毛嫌いする頑固な苦沙弥先生とは異なり、融通無碍に明治の世を闊歩しています。ただし、この人物は、嘘つきの軽薄才子として描かれています。
また、寺田寅彦をモデルにしたと言われる「水島寒月」という苦沙弥先生の家に出入りする科学者の卵と、金田家の令嬢との間の、どこからふってわいたかわからぬ結婚話が、『猫』全編を通じて、繰り返し取り上げられるのですが、この結婚話は結局、破談に終わります。
水島寒月と金田家令嬢との結婚は、明治の世にあって「教養」と「実業」の融和は可能なのかという問題の暗喩であると考えられ、この両者の破談は、「教養」と「実業」の決裂と分裂を暗示しています。
(水島寒月は、出身地の女性と結婚する。) 漱石は、外発的に文明が導入された明治の日本では、日本人が、自らの内面に根ざす、真の意味での「教養」を持とうとすれば「実業」などできないし、逆に「実業」に携わって、日本の外発的な発展に貢献しようとすれば、それは自らの内面と対立することになるという矛盾を、『吾輩は猫である』というユーモラスな大衆小説の中で突きつけているのです。
「教養」と「実業」の対立という、『吾輩は猫である』がさりげなく掲げた問題は、晩年の作品に至るまで反復されるモチーフとなり、苦沙弥先生と金田に象徴される、「教養人」と「実業家」という対照的な人物類型も、『猫』以降の作品の中で、形を変えて登場するようになります。
『それから』の主人公の代助(高等遊民の教養人)と、彼の父や兄(実業家)はその好例です。
しかし、漱石の後の作品に繰り返し登場して『猫』が決定的に欠いている人物類型があり、それは、ファム・ファタール(運命の女・魔性の女)としての女性の存在です。
『猫』に登場する女性は、苦沙弥先生の細君にしろ、下女にしろ、苦沙弥先生の姪の雪江さんにしろ、金田の細君にしろ、金田の令嬢にしろ、皆、男たちと同じ地平に暮らす、ごく日常的で人畜無害な人々として描かれています。
ところが、『猫』以降の、『草枕』『虞美人草』『三四郎』のような比較的初期の漱石の作品になると、強い個性や際だった美貌をもって男を翻弄するファム・ファタールが、登場しはじめます。
これには、漱石の弟子の森田草平と「煤煙事件」という心中未遂事件を起こした平塚らいてう(「元始、女性は太陽であった」の言葉で有名な女性運動家)の影響があると言われていますが、さらに後期の作品になると、ファム・ファタールは女性全般へと一般化され、強い個性を持たないごく普通の女性たちもが、ファム・ファタールとして描かれるようになっていきます。
たとえば、『こころ』のような晩年の作品になると、ごくありふれた下宿先のお嬢さんが、男たちの主観というフィルターを透過して、ファム・ファタールに転じていく様が描かれています。(この女性は自分が「ファム・ファタール」であったことに気付いてすらいない。)
近代文明と心の齟齬に悩むと同時に、始原性(超近代性/前近代性/非合理性)をそなえた女性を理性の中に絡め取ろうとしてもがかずにはおれない、「文明」に冒された近代日本人の姿が、漱石の作品の中で、執拗に描かれています。
漱石の小説の主人公たちは、「文明」と「始原」(女性)の間で、どちらにも帰属できずに、彷徨する存在として描かれているのです。
さて、さきほど、『猫』には、「自然」や「始原」を象徴するファム・ファタールとしての女性は登場しないと述べましたが、実は、「猫」という存在自体が、ファム・ファタールの代わりに、「始原」や「自然」や「野生」からの視点を、私たち読者に提示しています。
『吾輩は猫である』のナレーターである猫が、人ならざるものとしての窮極の始原性を提示しているため、この作品には、ファム・ファタールは不要であるし、仮に『草枕』の那美さんや、『虞美人草』の藤尾や、『三四郎』の美穪子のようなファム・ファタールたちが物語の中に侵入しようとしても、(金田の令嬢は美貌やモダンな振る舞いというファム・ファタールに転じうる素質を備えていました)、「猫」という野生の観点からは、ファム・ファタールは相対化され陳腐化され滑稽化されてしまうのです。
日本の近代化の問題に心を痛めた漱石と、彼の同時代人たちが、『吾輩は猫である』という作品を必要とした理由は、この作品が提示した、近代を包摂する「野生」(非人間・非近代・前近代)からの視点にあると私は考えています。
(少しずつ詳述しますが、『吾輩は猫である』が提示する「猫」からの視点は、「私の個人主義」という講演のタイトルとも関係しています。「我思う故に我あり」に立脚する西洋の近代的個人主義の前に冠せられた「私」、個人主義を包摂する「私」、近代的個我(=苦沙弥先生)を包摂する「私」(=猫)とは、結局何者かという問題です。当然、「猫」=「私」なのですが、ここでの「私」とは、単なる近代的個我ではなく、漱石自身の言葉を借りるならば、「余の意志以上の意志」のことです。)
『草枕』は、『猫』と本質的には、同じアプローチ(社会の外部からの観察)で書かれた小説ですが、ナレーターの「画工」は、人間の男であるがゆえに、ファム・ファタールに対して猫ほどの耐性を示すことができません。この作品では、ファム・ファタールと、文明の外部に佇もうとするナレーターの間に、きわどい駆け引きが展開されています。
(あとで述べますが、『草枕』のファム・ファタールは、ヌードになって「画工」の前に現れさえするのですが、「画工」は、なんとか第三者的な立場を守り通します。)
『それから』では、高等遊民(社会の外部からの観察者)は、ファム・ファタールに籠絡されて、近代文明の中に完全に吞み込まれて電車に連れ去れてしまいますが、『草枕』では、その一歩的前のぎりぎりのところで踏みとどまり、(「画工」は『それから』と対照的に小説の最後に汽車に乗らずに見送る)、『猫』的な観察的・写生的な文学を完遂させています。
まあ、慌てずに少しずつ論じていきましょう。
(つづく)
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