再掲: 国土強靱化という名の国土脆弱化

国土強靱化は保守ではない。
先日逝去された西部邁氏が、死の直前に、「国土強靱化は保守ではない」と、弟子の藤井聡氏らを名指しにするような形で批判していたという事実を、私は興味深く受け止めました。

国土強靱化は、「インフラ」(下部構造)ばかりに着目して、「スープラ」(上部構造)について全く議論してないじゃないかというのが西部邁氏批判の眼目であったようです。(スープラはインフラの反対語で、「上」を意味するラテン語の形容詞)

藤井聡の擁護者たちは、「藤井さんはスープラについても考えてる」と言うのですが、「スープラについて考えている」という発想自体、まったくこの問題を考えていない何よりの証拠です。

なぜそういえるのかというと、「上部構造」「下部構造」とは唯物論の立場にたつマルクス主義の概念であり、マルクス主義においては、生産諸力と生産諸関係の総体である経済的構造を社会の「下部構造」とし、生産とは無関係な政治・宗教・芸術・文化などを社会の「上部構造」ととらえました。



マルクス主義のように唯物論の立場に立てば、生産活動や経済活動が文化や社会の土台だという捉え方ができるのかもしれませんが、日本のような長い歴史をもつ国に、それはあてはまりません。宗教や文化や伝統の方が「下部構造」として日本社会の根底に存在し、その土台の上に、生産活動・経済活動も含めた様々な人間の営みが「上部構造」として展開していると考えるべきです。

ですから、西部邁氏の国土強靱化に対する批判自体が、マルクス主義の枠組みに依拠した批判なのであり、その批判を受けて、「スープラについても考えます」「スープラとインフラを循環させます」とうっかり答えてしまう自己弁明自体が、国土強靱化一派が、日本の文化や伝統と公共の土木事業の関わりについて、深くは考察していないことを暴露してしまっているのです。

藤井聡や三橋貴明らは、リニアだの、AIだのといったインフラや技術革新こそが国土を強靱化させると主張しますが、それらは逆に国家を脆弱たらしめるものです。

真に国家を強靱化させるものは何か、マシュー・ペリーが安政の大地震の直後の日本人の様子を記し、アメリカ議会に提出した報告書が、私たちに教えています。

Notwithstanding the calamities caused by the earthquake, there was shown a resiliency in the Japanese character which spoke well for their energy. They did not sit down and weep over their misfortunes, but, like men, went to work, seemingly but little dispirited.

地震によつて生じた災禍にも拘はらず、日本人の特性たる反撥力が表はれてゐた。その特性はよく彼等の精力を證するものであつた。彼等は落膽せず、不幸に泣かず、男らしく仕事にとりかゝり、意氣阻喪することも殆どないやうであつた。

(出典: マシュー・ペリー『日本遠征記』1856年)

国家を真に強靱化させるのは、社会のニセモノの「下部構造」にすぎない橋や道路やリニアではなく、社会の本当の「下部構造」である文化や伝統に立脚した人々の生き方です。

ペリーが述べた、“A resiliency in the Japanese character”(日本人の性格における強靭性)こそが、日本という国家の強靭性(National Resilience)の土台であり源泉なのです。

以下、2016年4月17日の記事「国土強靱化という名の国土脆弱化」を再掲します。

今、地震の大きな活動期を日本は迎えています。

現在、熊本や大分で発生している地震は、中央構造線と呼ばれる断層系の上に位置し、今後、同じ中央構造線上の他の地点で、類似した内陸型の地震が連動する可能性があると言われています。



断層のずれが引き起こす、この内陸型の地震は、近い将来、南海トラフにおける海溝型の巨大地震を誘発していくとも言われてます。

現在の日本は、地震の危機に対して、日本の歴史上、最高度に高い脆弱性を抱えています。

たとえば、江戸時代の江戸の町に比較して、現代の東京は、地震に対する、はるかに巨大な脆弱性を抱えています。

人々が竪穴式住居に暮らしていた縄文時代の関東平野の集落と比較すると、現代の東京は、さらに桁違いな脆弱性を抱えています。

つまり、この脆弱性はどこに由来するかといえば、単にこれから起きる地震の大きさによるものではありません。

巨大で複雑な構造物を、日本の都市が抱えるようになったことに由来する脆弱性です。

なぜ、日本は、巨大で複雑な構造物を、その国土の上に抱えるようになったのか。

そのきっかけは、デモス(文明)的な西洋の建築様式を日本が受け入れた、明治維新にさかのぼることができます。

江戸時代までに作られていた日本のエトノス(土着)的な木造建築は、地震で壊れることを前提にした簡易な構造をもっていたり、地震の揺れを巧みに吸収する柔軟な構造をもっていました。

明治以降、日本が受け入れた西洋の建築様式は、地震のない国々で考案されたものであったため、関東大震災は、日本の歴史上、過去に類例のない甚大な被害をもたらしました。

日本の土地柄に合致しない近代的な構造物が,日本の脆弱性を増大させているのならば、「国土強靱化」を叫び、公共事業をふやし、街をコンクリートで固め、近代的建造物の数を増やしていくだけでは、日本の都市や国土の脆弱性をかえって強めることになるでしょう。

現代の建造物の耐震性は、以前に比べて飛躍的に向上していると考えられますが、それでも、現代の都市のあり方と、「地震が多い」という日本の自然は、まだまだ一つに調和しているとは言えません。

この日本の自然(ピュシス)と、その上を覆う都市のあり方(ノモス)との根本的なズレが、現代の日本が抱えている脆弱性の本質です。

ならば、このズレを拡大させていくようなやり方での「国土強靱化」は、日本の一層の「国土脆弱化」をもたらします。

必要なのは、日本が伝統的にそうであろうとしてきたように、文明(デモス)と土着(エトノス)、自然(ピュシス)と人為(ノモス)を、一つに融和させていく。

そういう発想で、日本の国や都市のあり方を、根底から再設計していくことです。

日本の都市が地震に対する大きな脆弱性を持つと言うことは、建築を含めた「近代」を、日本人がまだ十分には、その土着(エトノス)性の中に消化しきれていないことの、なによりの証なのだと思います。
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ストラディバリウス作るしかない。

No title

>エネルギー資源価格の下落のみでデフレにはなりません。
>物価下落の要因にはいくつかあると言いましたよね?
>そもそも根本的な問題として、外部要因で価格の大きく変動するエネルギー資源の物価変動は
>消 費 者 物 価 指 数 に 含 め ま せ ん


エネルギー価格は、消費者物価指数の指数品目の中に含まれています。

資料として消費者物価指数の指数品目の一覧表を付しますので、自分の目で確認してごらんなさい。

参考資料: IV 平成22年基準消費者物価指数作成関係資料
http://www.stat.go.jp/data/cpi/2010/kaisetsu/pdf/4-1.pdf

エネルギー価格を含めないのは「コアコアCPI」であり、通常の総合指数「CPI」や、「CPI」から生鮮食料品価格を除いた「コアCPI」の指数品目に、エネルギー価格は含まれています。

また、資源価格と物価の間に密接な関係があることぐらい誰でも知っている事実です。

参考記事: 経済産業省「3 資源・食料価格の上昇とインフレ圧力」
http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2008/2008honbun/html/i1130000.html
参考記事: 日経新聞「消費者物価、原油高反映し13カ月ぶり上昇 1月0.1% 」
https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS03H0Q_T00C17A3MM0000/?dg=1&nf=1

>あと、資源が枯渇するとその資源の価格が高騰するので、起こるのはデフレではなくコストプッシュ型のインフレ(つまり悪性のインフレ)ですよ?

私は資源価格の高騰でデフレが起きるなど一言も述べていません。
もっと基本的な読解力を身につけましょう。

>その次のあなたの反論にはそのことに対する言及は一切なく、100年後には資源が枯渇するだの、デフレは資本主義のどん詰まりだのと、なんらその主張の根拠となるデータも情報も示さず、いたずらに不安感と諦めを煽るだけの、私の反論とは全く関係のない抽象論を並べたてました。

デフレは、資本主義のどんづまりです。デフレは、資本主義が誕生した時点で、すでに構造的に資本主義の中に組み込まれていた、資本主義の自死装置のようなものです。

どういうことか説明しましょう。

あなたは、人類は過去にもデフレを乗り越えた来たとおっしゃっていましたが、金本位制の下で発生した過去のデフレは、現在の日本が直面するデフレと異なり、純粋な貨幣現象として発生したものです。中央銀行が発行する紙幣が、保有する金の量と紐付けられていた時代には、輸入の増加によって国内の通貨供給量が不足したり、金の価値が上昇すれば、貨幣価値が高まり、物価が下がるということがおきました。

ところが、もはや金本位制や固定相場制を採用していない90年代以降の日本で発生したデフレは、単なる貨幣現象として発生したものではなく、需給ギャップによって起きたものだと言われています。戦後の経済成長で日本が構築した大きな生産力に見合う十分な需要が、バブル崩壊後の国内に存在しなくなったため、相対的に財やサービスの供給が過剰となり、価格が下がると言うことが起きたのです。だからこそ、三橋や藤井のように、公共事業のような政府の投資を増やして、需給ギャップを埋めれば、日本はデフレから脱却できるという、ケインズ主義を唱える人々も現れてきます。

しかし、技術革新による供給量の増加によって需給ギャップが生じデフレが起きるならば、それは、産業革命によって資本主義が誕生した段階から、その可能性は資本主義の中に内在されていたということができます。

技術革新のスピードは高く、供給量が飛躍的に向上するのに対して、人間が生きる一生の時間的スパンや、胃袋の大きさなど人間の身体的な条件は限定されています。人間の消費能力は、人間の供給能力に比例して高まったりはしない以上、資本主義が発達すれば、歴史上のどこかで、人類が増大させる生産量(供給)が、人間の消費量(需要)を上回る段階に人類は必然的に到達します。

それが私がいう「資本主義のどんづまり」であり、現在の日本が直面している問題です。

これは資本主義の中に始めから内在されていることがらですから、一時的に公共事業を増やしたところで、時限的な解決にしかなりませんし、人為的にこれをどうこうしようとしても仕方がないのです。

結局は、人間が消費する量に合わせて、供給力をコントロールしていかなければなりません。

経済の右肩あがりの上昇という資本主義の幻想を、日本人のみならず人類全体が捨てなければならないときがいつかくるのです。

No title

この匿名とやらは、最初は通りすがりって名前だったよね? 名前を変えたのならそう言ってくれないとどこからが当人の意見かわからない。もし、通りすがりが匿名と同じ人物なら、最初の通りすがりの失礼なコメントから始まってるんだよね。人様のサイトに突然やってきて、何が的外れかどうかも指摘せずにぞんざいな言葉を残して行く礼儀もわきまえないやつにはまともに相手をする必要なんてないのに、ここの主さんは相手にしちゃうんだよな。今までもこんな奴がいっぱい湧いてきたけど、相手にしちゃうんだ。最初のコメント読めばいつものように粘着質な奴というのはわかってて相手にする。相手は自尊心だけは強いから匿名性をいいことにさらにぞんざいな言葉でフラストレーションをぶつけてくる。よく相手にできるなあ。時間の無駄だから、もう無視してちょうだいなと言いたいよ。

No title

>技術革新によって生産力が向上し、エネルギー需要を十分に満たし、資源価格が下落する。まさにデフレであり~

エネルギー資源価格の下落のみでデフレにはなりません。
物価下落の要因にはいくつかあると言いましたよね?
そもそも根本的な問題として、外部要因で価格の大きく変動するエネルギー資源の物価変動は

消 費 者 物 価 指 数 に 含 め ま せ ん

エネルギー資源の価格でインフレかデフレかを論じることは無意味です。
というか、私はあなたの資源枯渇説を否定する根拠としてシェールガスやバイオ燃料を例に挙げたわけですが、それらの技術で供給量を維持できることを前提に考えるということは、自分の言った資源枯渇説を自分で否定することになるということを理解していますか?


>生産規模の縮小、それに伴う消費の縮小、それに伴う国防規模の縮小、まさにデフレスパイラルであり、あなたはデフレは悪だといいながら、人間はデフレスパイラルをたくましく生き抜くことができると述べているのです。

こん棒だの石斧だのというくだりは、あなたがデフレを容認する理由について「地球にある資源では人類を支えきれなくなる」だの「人類が滅亡したとして~」だのと誇大妄想で語り始めたから、「資源が枯渇するという説は根拠が薄弱である」ということと「仮に資源が枯渇したところで人類は滅亡なんてしない」ということを論じる過程で例え話として書いただけで、人類がそんなろくでもない状況に追い込まれたとしてもかまわないと言っているわけではありません。なぜここだけ切り取ったのですか?

あと、資源が枯渇するとその資源の価格が高騰するので、起こるのはデフレではなくコストプッシュ型のインフレ(つまり悪性のインフレ)ですよ?
根本的に間違っています。


>典型的な詭弁(道理に合わない、言いくるめの議論。ごまかしの議論。 「―を弄(ろう)する」。論理学で、相手の思考の混乱や感情につけ入って相手をだます、見掛け上は正しそうな、虚偽の推論。)です。

これ、本気で言っているのですか? 言ったもの勝ちですよね。
私は最初、あなたがデフレを容認する根拠として挙げていた佐々木融とかいう人物の「平均賃金が4%上がった」という主張の根拠となるデータが見つからないと指摘しました。
そのうえでサラリーマンの平均年収の下落を示すデータの掲載されたサイトへのリンクを張りましたね?

その次のあなたの反論にはそのことに対する言及は一切なく、100年後には資源が枯渇するだの、デフレは資本主義のどん詰まりだのと、なんらその主張の根拠となるデータも情報も示さず、いたずらに不安感と諦めを煽るだけの、私の反論とは全く関係のない抽象論を並べたてました。

私は内心、いきなり口調が偉そうな説教調から低姿勢な説得調になったところからも(論点をずらして誤魔化そうとしてないか?)と思いつつ、人口増加の原因がアフリカ・中東地域にあることを指摘し、資源枯渇説に対しても、デフレどん詰まり論に対しても、相応の情報をもとに具体的に反論しました。

それに対するあなたの反論は何?
平均賃金が上がったというデータも、資源が枯渇するという根拠も、デフレがどん詰まりであるということの論理的説明も、あなたの主張の正当性を証明する努力を何一つしようともせずに、その場しのぎの文脈の曲解に終始し、挙句の果てに私の主張の趣旨とは直接関係のない私の両親の話のみを切り取って、詭弁であるかのように印象操作する。

この議論の過程はこうです。

あなた:デフレに耐性を持てる社会を~
     ↓
わたし:耐性をつけるとはどういことか?思うだけなら誰にでもできると反論
     ↓
あなた:佐々木融氏の記事を引用してデフレ容認論を展開。先の主張であるデフレに耐性のある社会についての具体的説明は無し
     ↓
わたし:平均賃金が上がったデータが見つからない。格差縮小ではなくみんな貧しくなっただけと反論
     ↓
あなた:資源枯渇説とデフレどん詰まり説を展開。平均賃金や格差についての再反論は無し
     ↓
わたし:資源枯渇説は根拠薄弱。デフレは今までにも何度もあって脱して来たと反論
     ↓
あなた:「お前は無意識にデフレを容認している~!」と、私の反論の趣旨とは関係のない文脈の曲解に終始。同じく反論の内容に直接関係のない私の両親の話を抜き取り、そこだけをもって感情に訴えかける詭弁であると豪語。資源枯渇説、デフレどん詰まり説についての再反論は無し


反論されるたびにまともに再反論もせず、何事もなかったかのように次から次へと趣旨をころころとカメレオンのように変え、データと呼べるようなものも一切出さず、でもデフレ容認の主張は頑として崩さない。
これで自分がまともな思考回路をしていると信じれる神経が理解できません。

「見掛け上は正しそうな、虚偽の推論」

まさにあなたのことでしょうが。

No title

>化石やガス燃料の可採年数のことなら新しい油田が発見されるたびに増えますし、
>最近ではミドリムシからバイオ燃料の精製が出来るようになりましたね。
>日本には麻文化がありますが、麻の一種であるヘンプからもバイオ燃料を生成出来ることが知られています。
>資源の消費量を減らせるならばそれは素晴らしいことですが、消費量が増えるのと同時にエネルギー技術も
>相応に進歩します。シェールガス採掘技術がそうですね。


技術革新によって生産力が向上し、エネルギー需要を十分に満たし、資源価格が下落する。まさにデフレであり、あなたはデフレは悪だといいながら、デフレによって、人類はエネルギー危機を解決できるのだと述べているのです。

>銃が無ければこん棒を。重機が無ければ石斧を。肉が無ければドングリを食って生き抜くのが人間です。

生産規模の縮小、それに伴う消費の縮小、それに伴う国防規模の縮小、まさにデフレスパイラルであり、あなたはデフレは悪だといいながら、人間はデフレスパイラルをたくましく生き抜くことができると述べているのです。

>私は自分の両親が経済的にも精神的にもデフレ不況に散々苦しめられ痛めつけられ、
>心が壊れても這いずり回って生き抜いて来たのを物心ついたころから見続け、
>介護を必要とし始めた祖母が自分の子供の経済的・時間的負担増を嫌って文字通り首を吊ったのを見てきました。
>懸命に世話をしてきた祖母の遺体を発見したときの母の絶叫があなたに想像できますか?


あなたは、両親の経済的苦境とデフレの因果関係を何も論理的に実証できていません。

典型的な詭弁(道理に合わない、言いくるめの議論。ごまかしの議論。 「―を弄(ろう)する」。論理学で、相手の思考の混乱や感情につけ入って相手をだます、見掛け上は正しそうな、虚偽の推論。)です。

その証拠に、さきほど、あなたは、人類はデフレによってエネルギー危機を解決し、なおかつデフレスパイラルをたくましく生き延びる力をもつと述べていたではないですか。

No title

私は人口減少が問題だとは一言も言ってませんし、人手不足で雇用競争が起きる(今がまさにそうですね)のだからむしろ好ましいと思っていますが、そもそも人口増加の主な原因は中東・アフリカの国々にあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%A2%97%E5%8A%A0%E7%8E%87%E9%A0%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88

日本の人口が多少増減したところでそんなものは世界人口の趨勢に対してクソほどの意味もありません。日本の人口や資源に対する考え方がどうあろうが中東・アフリカの国々はそんなものに毛ほどの興味を持ちませんし、100年後に資源が枯渇するなら日本が何をしようが普通に枯渇します。
というか100年後って
ど っ か ら 出 て き た 数 字 で す か????????????

化石やガス燃料の可採年数のことなら新しい油田が発見されるたびに増えますし、最近ではミドリムシからバイオ燃料の精製が出来るようになりましたね。
日本には麻文化がありますが、麻の一種であるヘンプからもバイオ燃料を生成出来ることが知られています。
資源の消費量を減らせるならばそれは素晴らしいことですが、消費量が増えるのと同時にエネルギー技術も相応に進歩します。シェールガス採掘技術がそうですね。
100年後って誰が言ったんでしょうか。100年後も100年後って言ってるんじゃないですかね?

人類は七万年前の氷河期に残りたったの二千人になるまで追い詰められました。残りはみんな死にました。現代の人類はそこから這い上がってきた者たちの末裔です。
仮に資源が枯渇すればそりゃ資本主義経済を維持するのは難しくなるでしょう。資源をめぐって大規模な戦争も起こるかもしれません。もしそうなら私はそこで死ぬのでしょう。でもその果てに生き残ったのがたとえたったの二千人だったとしても人類が滅亡することなどありません。
銃が無ければこん棒を。重機が無ければ石斧を。肉が無ければドングリを食って生き抜くのが人間です。

>デフレというのは、資本主義のどんづまり

今まで日本だけでなく世界中の国が何度デフレになってそこから脱して来たと思ってるんですか?
デフレは資本主義経済において普遍的な一状況に過ぎません。
誇大妄想もいい加減にしてください。

私は自分の両親が経済的にも精神的にもデフレ不況に散々苦しめられ痛めつけられ、心が壊れても這いずり回って生き抜いて来たのを物心ついたころから見続け、介護を必要とし始めた祖母が自分の子供の経済的・時間的負担増を嫌って文字通り首を吊ったのを見てきました。
懸命に世話をしてきた祖母の遺体を発見したときの母の絶叫があなたに想像できますか?

その私の前で、あまつさえ中国や北朝鮮や韓国やロシアの脅威が迫る中、根拠薄弱な資源枯渇説に基づいて綺麗ごとを立て並べ、国民を不幸にし、国力をじわじわとそぎ落としていくデフレを容認する。
もう一度言います。
ふざけるな。

ゆる

賃上げと値上げは同時でないと意味がない。

デフレであっても大量消費が止まるとも思えないし。

アベノベアとか気の利いた語感の良いフレーズは無いのかね。

地デジカみたくゆるキャラ作ったり。

No title

デフレが問題だ、人口減少が問題だと政府もマスコミも危機感を煽ります。

しかし、世界経済が右肩上がりで常に上昇を続けていき、世界の人口が右肩上がりで増加を続けていったら、100年後の世界はどうなるでしょうか。

地球上にある資源では、人類を支えきれなくなります。

人類が生き残るためには、どこかで経済成長や、世界人口が、減少に転じなくてはなりません。

日本が世界に先駆けて、人類史の新しい段階に踏み出しつつあると考えることはできませんか。

人類は永遠に、発展と成長を追求すべきだという、産業革命以来の資本主義のパラダイムを疑うべきときが来たのではないのでしょうか。

それとも、仮に人類が滅ぼうとも、私たちはひたすら成長を自明のこととして追い求め続けるべきなのでしょうか。

「表現者」の内部に存在したとささやかれる、晩年の西部邁と、藤井聡・中野剛志らとの間の思想的対立も、日本が明治維新以来導入した近代資本主義そのものに懐疑の目を向けるのか、それとも、成長と発展という、近代資本主義のパラダイムを自明のものとして、明治体制的な「富国強兵」を今後も推進すべきなのか、という点にあったと考えられます。

デフレというのは、資本主義のどんづまりです。

敗戦でも瓦解しなかった明治体制的日本の終わりを告げる現象です。

これからは成長しないことを むしろ自明のこととする時代に果敢に踏み込んでいかなくてはならないのではないですか。

人類の未来のためにも、資本主義導入以前の日本の姿に立ち戻るためにもです。

No title

>国民の平均賃金は4%程度上昇している

まさかと思って調べてみたんですけどそんなデータどこにも見つからないんですが。
その人どこからその数字を引っ張ってきたんでしょうね。
というか何時を基準にした4%なんでしょう?
日本の雇用の八割を占めるサラリーマンの平均年収はデフレ下でピーク時から40万以上下がっているのですが。

https://nensyu-labo.com/heikin_suii.htm

>デフレの間、最悪な思いをしたのは、企業や資産家である。企業は、物価が上昇しなければ収益が伸びず、成長ができない。資産価格や物価が下落するということは、借金をして投資をしても価値が毀損しやすくなる。

その最悪な思いをした企業に勤めているのが国民なんですが(^^;)
企業が成長できないということは成長に起因する企業の利益から分配される従業員の所得も伸びませんし、借金をして投資をしないということは投資先も儲からないばかりか投資が減れば減るほど市場を循環するお金の量は減っていきます。
市場を循環するお金が減るということは、一人当たりの取り分も減るということです。
おまけに成長しない(GDPが増えない)ということは100万円余分に稼いだ人がいれば必ずその他の人の取り分が100万減るということですよ?
デフレというのは正しく弱肉強食の社会です。

あと、物価が下がることをさも良いことのように考えているようですが、その要因には幾つかありますよね?
デフレ不況下では”下がった”ではなく”下げざるを得ない”という表現が正しい。
だってそうでもしないと売れないから。
そのために最も効率のいいコストカット手段は何ですか?
人件費を削ることでしょうが。
上にも書きましたが、日本の雇用の八割を占めるサラリーマンの平均年収はデフレ下でピーク時から40万以上下がっています。
ちなみにピーク時というのは1997年、つまりデフレ前夜の年です。
余談ですが出版業界の売り上げが減少に転じたのも1997年ですね。

デフレ不況下で呑気に「物価が下がるからいいじゃない」なんて平然と口にできるのは公務員か学者か年金生活者ぐらいです。

>貧富の格差は確実に縮まった。
富者の富が貧者にあてがわれたのなら格差が縮まったと言えるでしょうが、実際は富者が貧者の視点に引きずり落されただけですよね?

>デフレや円高が進行していた民主党時代の方が、アベノミクスや円安によって物価が高騰し実質賃金が低迷している現在よりも、生活が楽だったと感じている庶民は多いはずである。

誤解されているようなので言っておきますが、私はアベノミクスなんぞ消え去れと日々願っている立場の人間です。
金融緩和を否定はしませんが、安倍のように金融緩和さえすれば緊縮増税しても景気が回復すると信じるほど愚かではありません。

要は全体的なバランスが大切と申しますか

私もまさに

>デフレや円高が進行していた民主党時代の方が、アベノミクスや円安によって物価が高騰し実質賃金が低迷している現在よりも、生活が楽だったと感じている庶民

の一人ですし、コメント欄のやり取りを拝見して、直近の「エンゲル係数」騒動を連想してしまいました(安倍首相支持派とそれ以外の人の意見も含め)。

■エンゲル係数が上昇しても景気回復、安倍首相が斬新すぎる新解釈を披露 | BUZZAP!(バザップ!)
http://buzzap.jp/news/20180201-abe-engel/

■Wikipediaの「エンゲル係数」が首相答弁の翌日に「重要度低下」と改ざんされていた問題について | BUZZAP!(バザップ!)
http://buzzap.jp/news/20180202-engels-law-wikipedia/

付録(「格差」についてですが)。
http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1517476389/
2
ネトウヨ 「エンゲル係数は格差と関係ない!」
なおアベピョンはネトウヨとは真逆の主張をしていた模様w
[002/002] 183 – 参 – 予算委員会 – 4号
平成25年02月20日
○内閣総理大臣(安倍晋三君) このエンゲル係数を見ますと、これは一一年、一二年と上がっているんですね、一〇年から一一年、一二年と、こう上がっておりまして、これはたまたま民主党政権ということになるんでしょうか。二〇〇六年、二〇〇七年、これは下がっておりますが、これはちょうど第一次安倍政権でございましたが。
いずれにせよ格差を、この格差の定義いろいろありますが、格差というのは、国民的に許容できない格差、あるいはそれが固定をしてはならない、これは安倍政権の基本的な方針でございます。

匿名よ

>思うだけなら誰にでも出来ます。
>と言いますか、二十年も続いてるデフレ不況でなんの苦労もしたことないんですかあなたは?

雨が降ることもあれば、晴れることもあるように、物価が上がることもあれば、下がることもある。

どちらにしても、自然な社会現象のひとつに過ぎない。

雨がいやだからといって、年がら年中晴れていればよいというものではないように、物価が右肩上がりに上昇し続ければよいということでは決してない。

バブルの時代は、バブルの時代で、地価や物価が高騰して、庶民が何年働いてもなかなか家が買えないという苦しみを被っていたではないか。

物価が上がれば庶民の暮らしが楽になるということでは決してない。

保守界隈ではデフレ悪玉論が当然のようにまかり通っているが、デフレの悪い側面を強調するのは、特定勢力(特に安倍支持を煽りたくてたまらない勢力)による一種のプロパガンダに過ぎないし、何かのせいにしたい人々が、そのプロパガンダを鵜呑みにして、なんでもかんでも「デフレ」のせいにしているだけの話である。

たとえば、モルガンスタンレー佐々木融氏による、下の記事を読んでみよ。

"日本ではここ数年(数十年というべきか?)、経済停滞を反転できない問題の根源を「デフレ」であるかのように議論し、「デフレ脱却」が政策の主要テーマに据えられてきた。このため、「インフレ=善」「デフレ=悪」という考え方が一般の間でも定着しつつあるようだ。

しかしこれは、強者の論理ではないだろうか。

緩やかなデフレが続く中で、資産価格が下落し続けた日本の消費者物価指数は、結局は横ばいといえる状況が20年間続いてきた。この間、国民の平均賃金は4%程度上昇している。さらに多くの社会人は勤続年数が長ければ、それなりに昇給しているはずである。つまり、弱者である個人、平均的な労働者にとって、それほど悪い状況ではなかったはずだ。

一方、デフレの間、最悪な思いをしたのは、企業や資産家である。企業は、物価が上昇しなければ収益が伸びず、成長ができない。資産価格や物価が下落するということは、借金をして投資をしても価値が毀損しやすくなる。また、資産家にとっては保有資産の価値がどんどん目減りしてしまう。過去20年間の緩やかなデフレの間に、資産家と普通の労働者の間の格差、つまり貧富の格差は確実に縮まった。"

http://diamond.jp/articles/-/34922?page=2

デフレ悪玉論を前提に、「デフレ脱却」を目標に掲げて、アベノミクスは行われた。

アベノミクスは、実質賃金を押し下げて庶民の生活を悪化させる一方で、株価を三倍近くまで高騰させて資産家をますます豊かにすることに成功した。

確かに、資産家にとってはデフレは悪だったのだろう。株価や金利が低迷するんだから。

しかし、資産家にとってデフレが悪だったからといって、金融資産をもたない庶民にとってデフレが悪だったわけでは決してない。

物価の下落と安定は、全ての人々に平等に配られる配当金のようなものだからである。

実際、デフレや円高が進行していた民主党時代の方が、アベノミクスや円安によって物価が高騰し実質賃金が低迷している現在よりも、生活が楽だったと感じている庶民は多いはずである。

>大体、デフレへの耐性が必要だと思ってるって時点で今のデフレは問題だって自分で認めてるじゃないですかふざけるなよ(^^#)

デフレが悪ではないことは、デフレが絶対善であることを意味しない。発展途上国と異なり、産業化が進行した国の成長率が停滞し、デフレ化していくのは当たり前な現象なので、当たり前なことを、あるがままに受け入れろと言っているだけである。

No title

>果たしてコンクリートによって、地震に対する国土の「強靱化」を実現できるのか。
>私はできないと思う。

思うだけなら誰にでも出来ます。不完全でも今できることをやんなきゃいけないでしょ?

>また、デフレは本当に除去すべき悪なのか。
>私はそうではないと思う。

思うだけなら誰にでも出来ます。
と言いますか、二十年も続いてるデフレ不況でなんの苦労もしたことないんですかあなたは?

>デフレに耐性をもつ経済や社会を実現することの方が重要である。

そりゃデフレでも問題ない経済が出来ればそれに越したことはないでしょうね。誰でもそう思うでしょう。
で、その方法は? 具体的にどういう状況だとあなたの言うその”耐性”とやらが付くんでしょうね?
それが誰にも分からんし誰にもできないことだからデフレは解消しなきゃならんって話なんでしょうが。

大体、デフレへの耐性が必要だと思ってるって時点で今のデフレは問題だって自分で認めてるじゃないですかふざけるなよ(^^#)
あなたデフレで苦しんでる人が沢山いること分かってて言ってますよね?

直接関係のない原発批判に繋げているあたり、あなた単に原発支持者のやることなすこと全部否定したいだけじゃないの?
誰が原発のために国土強靭化するっつったよ?

五重の塔

都市機能の分散や遷都を含めての本質的議論を前提にした方が良さそうですね。

京ありて江戸となり、食い倒れて大阪。
この動的な水平の配置という均衡性が壊れたからこそ、松本人志がその人となりを含めてのらしさを失ってしまうのではないかなと思う。

先生と弟子と呼ばれる上下関係も親子でさえも同様に崩れたのは、horizontalとverticalの座標としての現象として、やはり現出するに至るだろう。

これらは、乗算によって成り立つので、無関係でいられないのですね。加法によりて成り立つものであれば、切除術でどうにか耐えられますが、乗算の場合には、人の痛みも我が事のように思えてなりません。

精神性を含む存在という固有の位置をしめるものは面積や体積に類する何らかの平方数か立方根に相当します。

和の国は掛け算で成り立っていたのですね。

街が壊れれば人も壊れます。
同時因果故になかなかその事に気付けないのですね。

数学は比喩や詞情等に類する情緒を根幹に据え置くものなので。

やはり私は、東北の方々には頑張れなどとは口が裂けても言えません。

祈りを形にすることが、やはり国作りや国おこしの根本であるように思う。

今回の思いは、岡潔の作品を読了したその消化と滋養とした具合によって生じてきたものです。

同じ国で育った筈の者が、たとえ洋式の悪魔であっても私は見捨てるわけにもゆきません。小悪魔か鬼程度にはしてみましょう。

老朽化した設備の点検や生活の為の橋を整備する事は有意義なことです。一度手を入れたものならそれは継続を必要とするのも自然ではないでしょうか。

腹部の問題は人を切るより先んじて自らを切った為でしょう。
共感力を有する何よりの証拠ではないでしょうか。

コンクリートにも素材として超伝導に類するイノベーションが求められるのではないかと思われます。

建築という名の人事(配置)の妙味を含めてはかの五重の塔での中空構造はやはり学びとる必要性があるでしょう。

今回のソフトバブルでの蓄えの向かう先を人と技術に向かわせるには共通の夢や目標が必要でしょう。

保守とはあまねく人々の日々の息遣い。
美しい夢をなくして、美しい国はあり得ない。
保守が旧態依然と同義語ではない事を何らかの形で証明することです。

皇はひととなりたまいし。

ならば同じ人同士、共通の夢を持つべきではないか。

恐らく、一連の事件を他山の石ととるのか否かが瀬戸際でしょう。

強靭化という欺瞞

国土強靭化を提唱している藤井聡とそのお仲間である 中野剛志 、三橋貴明らはそろって原発推進を是として、それを憚ることはありません。

東日本大震災であれだけの大事故起こし未だ収束の目処が立たない福島原発の教訓には目を閉じて、あらゆる自然災害のデパート状態の日本において原発を使い続けることは、麗しき郷土を破壊し未来の子々孫々まで負の遺産を残していくことに他ならないことが明らかになってもです。

日本の未来を閉ざす「脆弱性」そのものである原発を推進する者たちが「強靭化」を唱えるという大いなる矛盾に浅学の私ですら気づくのに、彼らは一体何を保守する者たちなのでしょうか?

全く理解に苦しみます。

No title

>批判するのならば、その対象者の著作なりをしっかりと読んでからやるべき。

下は藤井聡による文章からの引用である。

“「国土強靭化」で日本は力強く復活する。

ここでもし、日本に投資すべきもの無いのなら、必要性の高くない贅沢な投資を進めざるを得なくなるが、幸か不幸か、今の日本には「どう考えてもやらなければならない投資」が山のようにある。
そもそも最悪300兆円超級の被害をもたらす平成関東大震災や東海・南海・東南海地震に対応するには、様々な強靱化対策(耐震強化、堤防・避難路整備、国土構造分散化など)が必要だ。
それに加えて、高度成長期に整備した様々な橋や堤防が今まさに急速に老朽化し、寿命を迎えんとしている。だから、日本人がこれまで続けてきた当たり前の暮らしを続けるためには、この老朽化したインフラの「リニューアル」が不可欠だ。

つまり、巨大地震や文明の老朽化の波に直撃されんとしている我が国は今、徹底的に「国土強靱化」を果たさなければならないのだ。そして巨大地震が10年以内に十中八九生ずるとすら言われている状況では、年間10~20兆円程度の投資の下、これらの対策を遅くとも10年以内にでもある程度完了させておくことが必要だ。
こうした対策は、日本がインフレであろうが、資金がなくて世界銀行にでも借りなければないような状況であろうが、是非とも進めなければならないところだが、幸か不幸か、今の日本経済は景気刺激策を「渇望」するデフレに苦しんでいる。だからこうした大規模投資は、経済政策担当者からみれば渡りに船の意味を持つのだ。
言い換えるなら、こうした「国土強靱化」を進めれば、我が国は巨大地震に対する強靱さ(レジリエンス)を手に入れるのみならず、財政悪化を含めたあらゆる諸問題の深淵に横たわるデフレという大病を抜本的に治療することにも成功するのである。

http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/tba/archives/176

藤井聡自身の言葉によれば、「国土強靱化」とは、「耐震強化、堤防・避難路整備、国土構造分散化」や「インフラの『リニューアル』」などのことなのだそうである。そして、これらの公共事業は、日本をデフレから脱却させる効果ももつそうである。

果たしてコンクリートによって、地震に対する国土の「強靱化」を実現できるのか。

私はできないと思う。

また、デフレは本当に除去すべき悪なのか。

私はそうではないと思う。

ペリーが讃えていた地震に対する日本人の強靱性がどこから生じていたかといえば、逆説的だが、「人間は自然に抗うことができない」「人間は自然を制御できない」「地震によって家は壊れるものなのだ」「地震によって人は死ぬものなのだ」という、自然に対する人間の無力さを自覚する、日本人の自然観から生じている。

西洋人のように、自然が人間によってコントロールされうるし、されるべきだと考える自然観をもつ人々であれば、地震のような自然災害に対して怒りを不満をいだくのだろうが、日本人はそうではない。

また経済は常に右肩上がりで上昇しつづけなければならないものなのだろうか。

私はそんなことはないと思う。

本当に人類の生産活動が右肩上がりで拡大を続けたら、いつか地球の資源は枯渇してしまうだろう。

人類が生き残るためにこそ、人類の生産活動は、いつか、拡大から縮小に転じなければならない。

産業化が十分に進行し、十分な生産能力を備えた先進国が、のきなみ需要不足とデフレ化におちいっていくのは当たり前な現象なのであり、量的金融緩和などの不自然な方法で、デフレを異物として取り除く代わりに、デフレに耐性をもつ経済や社会を実現することの方が重要である。

耐震強化はできるかぎりやるべきであろう。

だが、どんなに人為を尽くして耐震化したところで、所詮、人工物は、地震によって壊れうるものだという自然に対する謙虚な認識を日本人はなくしてはならない。

耐震化や技術によって、原発事故を防ぎうるなどといった、自然に対しておごり高ぶった考えは、日本人本来の発想ではない。

「人間は自然を制御できない」
「地震によって人工物は壊れうるものなのだ」

このような、日本人によって当たり前な自然観に立脚すれば、原発が、日本の自然や風土、日本人の伝統的な思想に根本から相容れないものであることは、言うまでもないことである。

「保守」を標榜する人々が、原発推進を唱えることほど、バカげた自己矛盾は他にはない。

「保守」ならば、すべからく原発に反対すべきである。

No title

>日本の土地柄に合致しない近代的な構造物が,日本の脆弱性を増大させているのならば、「国土強靱化」を叫び、公共事業をふやし、街をコンクリートで固め、近代的建造物の数を増やしていくだけでは、日本の都市や国土の脆弱性をかえって強めることになるでしょう。

国土強靭化=近代的な構造物???街をコンクリートで固める???

批判するのならば、その対象者の著作なりをしっかりと読んでからやるべき。

それをやらないから、こんな的外れな批判記事になる。
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参考記事; 道州制: 何が問題なのか
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