対日包囲網と「冷戦脳」
「冷戦脳」が国を滅ぼす。
※この記事は、旧ブログの記事対日包囲網と冷戦脳(2013年5月11日)に若干の修正を加え再掲したものです。
簡単に戦後史をおさらいしましょう。
GHQによる占領統治(1945年〜1952年)は、1948年を境に、大きな方針転換が行われました。
どんな方針転換が行われたのか、半藤一利氏の『昭和史』から引用してみます。
以上が、1945年〜1948年までの、アメリカのアジア戦略です。中華民国を同盟国とした五大強国で戦後の世界を統治し、その中で敗戦国日本の改革をどんどん進めていくという戦略です。
しかし、1947年、一旦延安に押し込められていた中国共産党軍が、国民政府軍に反撃を仕掛け、1948年夏までに中国大陸の大部分を制圧するという、アメリカの予想を裏切る事態が起きました。また、同じ1948年に、韓国と北朝鮮が、それぞれアメリカとソ連の支援の下で成立し、朝鮮半島が南北に分断されました。つまり東アジアは冷戦の時代に突入していきました。
このような情勢変化の中で、1948年に日本の占領統治に関する大きな方針転換が、ワシントンからGHQのマッカーサーに命じられました。次のような方針転換です。
中国を同盟国とする代わりに、日本を自由主義陣営に属する豊かな同盟国として育てあげ、アジアにおける共産主義の進出を押しとどめる防波堤にするという戦略変換でした。
こうして1948年以降、GHQによる日本の占領統治は「改革より復興」を目指して行われるようになりました。この方針転換を「逆コース」と呼びます。
しかし、この対日政策は、1989年12月の冷戦の終結をもって再び変更されました。
冷戦の意味は、第二次世界大戦の戦勝国同士が争ったということです。
したがって、冷戦が終結したということの意味は、当然、第二次世界大戦の戦勝国がふたたび手を取り合うということに他なりません。
戦勝国が仲直りをすれば、アメリカが日本を豊かな同盟国として維持する必要性はもはやなくなります。むしろアメリカをしのぐほどの勢いをつけた日本の経済力はアメリカにとって邪魔なものにすらなっていました。
また、東西の壁が取り除かれたということは、東側に温存されていた安い労働力や未開拓の市場が、西側の資本によって利用可能になるという、グローバル化の時代の到来を意味しました。
冷戦時代の「自由主義vs社会主義」という二極的な構図から、世界の一元化をめざすグローバル化を推進する勢力と、多様な文化や国家の枠組みを維持しようとする勢力との「一極vs多極」という争いの構図に、転じていきました。
こうして、アメリカのアジア戦略は、1948年までの戦略に近い形へと戻っていき、1990年代クリントン政権は、日本を飛び越えて、ふたたび中国に接近していきました。
そして、日本は、同盟国としてよりも、敗戦国としての本来の立ち位置に押し戻されていきました。
このような情勢変化の結果、90年代以降、二つのことが日本を襲いました。
歴史問題と構造改革という記事で述べましたが、
一つは、中国や韓国による「反日プロパガンダ」が激化しました。
もう一つは、アメリカから日本の弱体化を目指した「構造改革」の要求が厳しく日本に突き付けられるようになりました。
日本政府は、中国や韓国による「反日プロパガンダ」に対しては、謝罪外交を展開し、「河野談話」や「村山談話」を出していきました。
また、アメリカによる構造改革の要求に対しては、唯々諾々とその内政干渉を受け入れ、長いデフレによって経済的には衰退していき、中間層が破壊されて社会格差が広がり、国民の生活は貧しくなっていきました。
対米従属的な自民党政治は、冷戦時代には大きな成果を上げましたが、冷戦終結以降は、日本を包囲し弱体化させる、アメリカや中国・韓国という戦勝国(準戦勝国)の戦略に、異議申し立てを行うこともできず、素直に手を貸していったに過ぎません。
そして、冷戦終結後20年余りを経た現在、「反日プロパガンダ」と「構造改革」という二方向からの圧力は、もっとも熾烈な形で私たちに突き付けられ、日本は今まさに国家解体の瀬戸際まで追いつめられています。
この二つの圧力に、今私たちがどう向き合い、答えていくのかが問われています。
私たちの安倍政権は、この二つの圧力にどう答えようとしているのか。
「反日プロパガンダ」の圧力に対しては、アメリカの要求に屈する形で、靖国神社参拝や、村山談話や河野談話見直しという公約の実行を取りやめています。
「構造改革」の圧力に対しては、TPPや、RCEP、道州制、国家戦略特区、消費税増税、法人税減税、規制緩和、移民推進などの新自由主義的な政策を、安倍首相自らの「政治家になって以来の一貫した哲学」(参照: 安倍晋三のロンドン講演)に基づいて、積極的に推進しています。
このように、「反日プロパガンダ」の圧力には力なく膝を屈し、「構造改革」の圧力に対しては、嬉々として率先してその要求に従っているのが、私たちの安倍政権です。
そして、冷戦終結以降、20年あまりに及ぶ戦勝国による対日包囲網の中で、何の抵抗もできずに解体されようとしているのが、私たちの日本です。
それにも関わらず、この亡国の手先となって働いている安倍政権を、愛国・保守の権化であるかのように多くの日本人が盲目的に信じ込み、支持してしまっています。
それは、これらの日本人が、冷戦時代、日本がアメリカにすがりつくことで、ソ連の脅威を生き延びた成功体験の記憶を長くひきずっているためであり、安倍政権の見せる対米従属的な姿勢が、彼らに安心感を与えているからに他なりません。
冷戦が終わって20年経っても自分たちの立ち位置がすっかり変化していることに気づかず、冷戦時代の思い出から抜け出すことのできない「冷戦脳」が、日本を亡国の最後のステージへと追いやろうとしています。
実際には、アメリカと中国は、戦勝国として再び手を結び、世界の一元化を推進しながら、日本の国家解体を目指して日本を包囲しているのですが、「冷戦脳」をもった人たちにはこの現状が見えません。
彼らには、「善」なるアメリカと、「悪」なる中国・韓国・北朝鮮が対立しあっているかのような善悪二元的な世界観にいまだにしがみついています。
そして「対中包囲網」や「セキュリティー・ダイヤモンド構想」なる「冷戦脳」には最も心地よくフィットする善悪二元的な虚構を掲げ、「善」なるアメリカに傾斜しようとしている安倍政権を支持することこそが、「悪」なる中国・韓国・北朝鮮から逃れる道だと信じているのです。
実際に、その先にあるのは、国の亡びであることにも気づかずに。
簡単に戦後史をおさらいしましょう。
GHQによる占領統治(1945年〜1952年)は、1948年を境に、大きな方針転換が行われました。
どんな方針転換が行われたのか、半藤一利氏の『昭和史』から引用してみます。
「アメリカは、中国共産党をどんどん西へ追いやって孤立させ、一方国民党政府を支援し、それを主要政権とする中国を堂々たる世界の五大強国(米・英・仏・ソなどの戦勝国)の一つとして育成しよう、国連もその強国で運営し、中国をアジアにおける親米の安定勢力にしよう、そうしてアメリカのアジア政策を行き渡らせようという戦略を練っていたからです。ですから、ソ連が国民党を応援しているのは非常に好都合でした。(中略)そこでアメリカは国民党政府を大事に大事にしました。実際、それでなんとなしにうまくおさまるような感じでもあったのです。それでアメリカは安心して敗戦国日本ではどんどん革命に近い改革を進めていけたのです。」
(出典: 半藤一利『昭和史』戦後編)
以上が、1945年〜1948年までの、アメリカのアジア戦略です。中華民国を同盟国とした五大強国で戦後の世界を統治し、その中で敗戦国日本の改革をどんどん進めていくという戦略です。
しかし、1947年、一旦延安に押し込められていた中国共産党軍が、国民政府軍に反撃を仕掛け、1948年夏までに中国大陸の大部分を制圧するという、アメリカの予想を裏切る事態が起きました。また、同じ1948年に、韓国と北朝鮮が、それぞれアメリカとソ連の支援の下で成立し、朝鮮半島が南北に分断されました。つまり東アジアは冷戦の時代に突入していきました。
このような情勢変化の中で、1948年に日本の占領統治に関する大きな方針転換が、ワシントンからGHQのマッカーサーに命じられました。次のような方針転換です。
●改革や追放などをこれ以上進めないこと。
●日本の悪事をさらには洗い立てず、戦犯裁判を早期に終結させること。
●日本国民の不満解消に向け、改革よりも貿易など経済復興を第一義的な目的とすべきこと。
●日本独立に向けた講和を視野に入れ、警察を強化する、また沖縄・横須賀の基地は確保しつつ、総司令部の権限をできるだけ日本政府に移譲すること。
中国を同盟国とする代わりに、日本を自由主義陣営に属する豊かな同盟国として育てあげ、アジアにおける共産主義の進出を押しとどめる防波堤にするという戦略変換でした。
こうして1948年以降、GHQによる日本の占領統治は「改革より復興」を目指して行われるようになりました。この方針転換を「逆コース」と呼びます。
しかし、この対日政策は、1989年12月の冷戦の終結をもって再び変更されました。
冷戦の意味は、第二次世界大戦の戦勝国同士が争ったということです。
したがって、冷戦が終結したということの意味は、当然、第二次世界大戦の戦勝国がふたたび手を取り合うということに他なりません。
戦勝国が仲直りをすれば、アメリカが日本を豊かな同盟国として維持する必要性はもはやなくなります。むしろアメリカをしのぐほどの勢いをつけた日本の経済力はアメリカにとって邪魔なものにすらなっていました。
また、東西の壁が取り除かれたということは、東側に温存されていた安い労働力や未開拓の市場が、西側の資本によって利用可能になるという、グローバル化の時代の到来を意味しました。
冷戦時代の「自由主義vs社会主義」という二極的な構図から、世界の一元化をめざすグローバル化を推進する勢力と、多様な文化や国家の枠組みを維持しようとする勢力との「一極vs多極」という争いの構図に、転じていきました。
こうして、アメリカのアジア戦略は、1948年までの戦略に近い形へと戻っていき、1990年代クリントン政権は、日本を飛び越えて、ふたたび中国に接近していきました。
そして、日本は、同盟国としてよりも、敗戦国としての本来の立ち位置に押し戻されていきました。
このような情勢変化の結果、90年代以降、二つのことが日本を襲いました。
歴史問題と構造改革という記事で述べましたが、
一つは、中国や韓国による「反日プロパガンダ」が激化しました。
もう一つは、アメリカから日本の弱体化を目指した「構造改革」の要求が厳しく日本に突き付けられるようになりました。
日本政府は、中国や韓国による「反日プロパガンダ」に対しては、謝罪外交を展開し、「河野談話」や「村山談話」を出していきました。
また、アメリカによる構造改革の要求に対しては、唯々諾々とその内政干渉を受け入れ、長いデフレによって経済的には衰退していき、中間層が破壊されて社会格差が広がり、国民の生活は貧しくなっていきました。
対米従属的な自民党政治は、冷戦時代には大きな成果を上げましたが、冷戦終結以降は、日本を包囲し弱体化させる、アメリカや中国・韓国という戦勝国(準戦勝国)の戦略に、異議申し立てを行うこともできず、素直に手を貸していったに過ぎません。
そして、冷戦終結後20年余りを経た現在、「反日プロパガンダ」と「構造改革」という二方向からの圧力は、もっとも熾烈な形で私たちに突き付けられ、日本は今まさに国家解体の瀬戸際まで追いつめられています。
この二つの圧力に、今私たちがどう向き合い、答えていくのかが問われています。
私たちの安倍政権は、この二つの圧力にどう答えようとしているのか。
「反日プロパガンダ」の圧力に対しては、アメリカの要求に屈する形で、靖国神社参拝や、村山談話や河野談話見直しという公約の実行を取りやめています。
「構造改革」の圧力に対しては、TPPや、RCEP、道州制、国家戦略特区、消費税増税、法人税減税、規制緩和、移民推進などの新自由主義的な政策を、安倍首相自らの「政治家になって以来の一貫した哲学」(参照: 安倍晋三のロンドン講演)に基づいて、積極的に推進しています。
このように、「反日プロパガンダ」の圧力には力なく膝を屈し、「構造改革」の圧力に対しては、嬉々として率先してその要求に従っているのが、私たちの安倍政権です。
そして、冷戦終結以降、20年あまりに及ぶ戦勝国による対日包囲網の中で、何の抵抗もできずに解体されようとしているのが、私たちの日本です。
それにも関わらず、この亡国の手先となって働いている安倍政権を、愛国・保守の権化であるかのように多くの日本人が盲目的に信じ込み、支持してしまっています。
それは、これらの日本人が、冷戦時代、日本がアメリカにすがりつくことで、ソ連の脅威を生き延びた成功体験の記憶を長くひきずっているためであり、安倍政権の見せる対米従属的な姿勢が、彼らに安心感を与えているからに他なりません。
冷戦が終わって20年経っても自分たちの立ち位置がすっかり変化していることに気づかず、冷戦時代の思い出から抜け出すことのできない「冷戦脳」が、日本を亡国の最後のステージへと追いやろうとしています。
実際には、アメリカと中国は、戦勝国として再び手を結び、世界の一元化を推進しながら、日本の国家解体を目指して日本を包囲しているのですが、「冷戦脳」をもった人たちにはこの現状が見えません。
彼らには、「善」なるアメリカと、「悪」なる中国・韓国・北朝鮮が対立しあっているかのような善悪二元的な世界観にいまだにしがみついています。
そして「対中包囲網」や「セキュリティー・ダイヤモンド構想」なる「冷戦脳」には最も心地よくフィットする善悪二元的な虚構を掲げ、「善」なるアメリカに傾斜しようとしている安倍政権を支持することこそが、「悪」なる中国・韓国・北朝鮮から逃れる道だと信じているのです。
実際に、その先にあるのは、国の亡びであることにも気づかずに。

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